トップアスリートを創る

日本体育大学アスリートたちの軌跡

トップアスリートを創る
著者 日本体育大学学友会運動部
宮村淳 インタビュアー
ジャンル 書籍 > スポーツ技術・トレーニング・コーチング > スポーツ一般
出版年月日 2002/01/10
ISBN 9784469264784
判型・ページ数 A5・250ページ
定価 2,200円(本体2,000円+税10%)

内容

スポーツのために生きる、スポーツとともに生きる

インタビューで綴るトップアスリートへの道! トップアスリートを育てる指導哲学! 日本のスポーツ界を常にリードし、トップアスリートを輩出する日体大の土壌を読み解く!  1893年の日本体育界体操練習所設立以来、一貫してスポーツ文化の発展・向上を目指し、オリンピック、プロスポーツ界に無数の優秀な人材を輩出してきた日本体育大学。その歩みは、まさに日本スポーツ界の歩みそのものと言っても過言ではない。  現役の指導者、選手として活躍する21人のOB・OGたちの肉声を通して、日体大独自の指導・研究哲学を解明し、新世紀を拓く「スポーツ人」養成戦略を明らかにする。

目次

マラソンランナー ◆平成元年卒業
有森裕子

二大会連続のオリンピックメダリスト。努力の人。有森裕子さんのライフストーリーはどこを切り取っても興味深いが、日体大で過ごした四年間も、その後の競技者人生に少なからず影響を及ぼしている。故障で走れない期間が長く、一時は本気でトライアスロンに転向しようと考えた。また、四年生のときの教育実習が、その後の進路を変える大きなきっかけになった。大学四年間で何をすべきか。有森さんの体験的アドバイスを聞こう。

栃木県大平町教育委員会 ◆昭和五八年卒業
砂岡良治
アジア最強のウエイトリフターとして、1984年ロサンゼルス・オリンピック銅メダルなどで世界で活躍した砂岡(いさおか)良治さん。一番強い大学へという選択で日体大を選び、その恵まれたトレーニングシステムの中で飛躍的に記録を伸ばした。「卒業式に日体大卒のDNAを埋め込まれた」という砂岡さんは、母校への愛着も人一倍強いだけに苦言も呈するが、その体験談には学生生活を豊かにするためのヒントがたくさん込められている。

日本体育大学教授・トランポリン競技部部長 ◆昭和四六年卒業
伊藤直樹
日体大教授として更新の指導に当たる伊藤直樹氏は、日本でトランポリン競技の歴史を作ってきた功労者の一人。苦学生だった自らの学生時代は、アルバイトに精を出しつつプールの片隅で練習に励み、全日本チャンピオンにもなった。後輩であり、教え子である日体大の学生たちを見る目は、一面で厳しいが、温かさに満ちている。「挫折して方向転換が必要になったら、いつでも相談にきなさい」と。

アスレッチック・トレーナー、NECレッドロケッツ ◆昭和五七年卒業
岩崎由純
白石宏氏と同様、日本のスポーツアスレチック・トレーナーの先駆者として歩んできたのが、岩崎由純氏である。日体大のように競技スポーツの現場があふれている環境なら、トレーナーの勉強する材料は山ほどある。そうした環境を活かすこと、そして視視覚はスタートにすぎないこと。岩崎氏の経験談は、そのままトレーナー志望者にとって絶好の指南となろう。

日本体育大学教授・水泳部水球監督 ◆昭和三八年卒業
清原伸彦
過去三〇年間の日体大の歴史を語るとき、キーマンとして絶対にはずせない人物が、この人、清原伸彦氏である。教員として水泳の授業を担当するかたわら、水球部の指導では二一年間無敗・三七六連勝という快記録を残した。その輝かしい戦績以上に、悩み多き若者たちの新南役として慕われる。自らゾクゾクするのが好きと言う名文津先生。今後日体大はどうあるべきか、そして学生は。ゾクゾクする話をたっぷり聞かせてくれる。

日本体育大学助教授・体操部監督 ◆昭和五三年卒業
具志堅幸司
インターハイを制し将来を嘱望されて日体大入学。しかし、在学中は二度の大きなケガに見舞われ、一時は体操を断念しようとまで思う。具志堅幸司さんの競技人生は、決して順風満帆ではなかった。それでもオリンピック・チャンピオンというスポーツマン最高の栄光を勝ち取ることができたのは、いつも目標を明確に持ち、人一倍の努力を怠らない地道な歩みをつづけてきたからである。若い人たちへのメッセージとして「自分のゴールを明確に決めなさい」と具志堅さんは言う。

柔道全日本女子コーチ ◆平成二年卒業
古賀稔彦
世界チャンピオンを目指すなら、このようなものを考え、このように行動しろ! 古賀稔彦さんが送った学生生活は、いたってシンプル。全ては柔道のため、勝つためにある。ここまで徹底できる人はそういない。だが、チャンピオンになるためには、それが必要だということを教えてくれる。そして、「決して自分の力を見切るな」というアドバイス。若いアスリートは、頂点をきわめた先輩からの、この金言を忘れないでほしい。

◆平成三年卒業
小林尚子
陸上競技一〇〇メートル・ハードルで一時代を築いた小林尚子さんは、日体大時代のすばらしい先輩や先生との出会いが競技者として自分が成長する上で大いに役立ったという。ただ、恵まれた環境を活かしきる自分自身の努力がなければ、宝の持ち腐れで終わってしまう。強いチームの中でさらに自分が強くなるには、やはり自己の創意工夫が必要だ。また、「図書館へもっと通うべきだった」と語る小林さん。図書館にも強くなるヒントがたくさんある。

横浜スポーツ医科学センター 中央大学講師 ◆平成四年大学院終了
小峯 力
ライフセービング部。日体大でもっとも新しい学友会組織であるにもかかわらず、最近の部員数は三〇〇名を超え、学内でも有すの大勢力となった。多くの学生たちが入学後にライフセービングを知り、その世界に魅せられていく。胴部の創始者であり、現在は日本ライフセービング協会理事長を務める小峯力さんによれば、その魅力は一般の競技スポーツで体験するのとは異質な精神性の追求、つまり“ライフセービング・スピリット”にあるという。学生たちはそこで何を発見し、何を学んでいくのか?

日本体育大学教授 ◆昭和四一年卒業
清水義明
常勝軍団。たとえ戦力に劣るときであっても、日体大男子バスケットボール部はつねに優勝を目指し、結果を残してきた。なぜいつも強くいられるのかは、このチームを率いてきた清水義明教授の話を聞けばストレートにわかる。
自らの日体大体験にも根ざす、厳しいが単純明快な指導論には、スポーツ全般に通じる「勝つため」「うまくなるため」の心構えが集約されている。

スポーツ・トレーナー ◆昭和五三年卒業
白石 宏
近年、スポーツを志す若者のあこがれの職業となったトレーナー。白石宏さんは、日本でこの道を開拓したパイオニア的存在である。
日体大入学時は棒高跳びでオリンピックを目指していたが、先輩へのマッサージから次第にトレーナーの世界にのめり込んでいく。甘い考えではトレーナーにはなれない。しかし、得意技があれば、必ず生きていける。努力して得意技を見つけよ、と後輩たちにエールを送る。

山梨学院大学助教授・レスリング部コーチ ◆昭和五一年卒業
高田裕司
日体大在学中に二度世界チャンピオンになり、1976年のモントリオール・オリンピックで金メダルを獲得。その四年後、モスクワ・オリンピックの代表になりながらボイコットにより出場できず、JOCの会議後に涙を流して無念を訴えたが映像が印象に残る高田さん。叩き上げからから世界一まではい上がった有り余るバイタリティは、選手生活を終えた後も強く発揮されていく。そして現在、山梨学院大学レスリング部を率いて日体大と覇を競い合いながら、母校にどのような思いを抱いているのか?

豊田自動織機製作所女子ソフトボール部 ◆平成十一年卒業
高山樹里
シドニーオリンピックで活躍した高山樹里さんは、一流選手が多数集まる日体大の中でも特別な存在だった。一年生の冬から全日本入りし、二年生のときにチーム最年少でアトランタ・オリンピックに出場。とにかく忙しい四年間で大学を留守にすることも多かったが、世界を身近に感じさせてくれる先輩や先生たちの存在は大きかったという。オリンピック・メダリストが教壇に立つ大学の意義を、最新のメダリストが語る。

旭化成陸上競技部コーチ ◆昭和五八年卒業
谷口浩美
スポーツを究めるためには、自己の肉体との対話を日々繰り返し、地道な歩みを根気よくつづけなければならない。マラソンは、スポーツのそうした自己修養的な側面を最大限に凝縮した種目かも知れない。日体大が生んだ希代のマラソンランナー、谷口浩美さんは、自らの選手生活を振り返り、自分がやってきたことは「自分を知る」ための作業であったと語る。自分の身体を知り、自分の心を知ることこそがスポーツの本質である。

市立船橋高校教諭・サッカー部監督 ◆昭和五八年卒業
布施一郎
市立船橋高校といえば、幅広い活躍で知られる高校スポーツ界の雄。中でもサッカー部は全国高校選手権優勝三回の超・強豪だ。チームを率いる布施一郎氏は日体大時代、ガッツ溢れるプレーで一般入学からレギュラーを獲得し、インカレ優勝も経験した。「指導者として成功したければ、まずプレーヤーとしてベストを尽くせ!」現場思考を貫いて実績をあげた指導者が語る経験的指導者論。そして母校へのエール。

日本体育大学教授 ◆昭和三八年卒業
花原 勉
チャンピオンになるために人の何倍も努力が必要であることは、いつの時代にも変わらない。
東京オリンピックのグレコローマン・スタイルで金メダルを獲得し、日体大レスリングの礎を築いた花原勉さんの話には、競技スポーツで強くなるための普遍的な心理がたくさん散りばめられている。しっかり目標を持って努力し、大学四年間ですばらしい、“面構え”になれ、と言う。

関東学院大学教授・ラグビー部監督 ◆昭和四七年卒業
春口 廣
ラグビー界の新興勢力としてその名を全国に知らしめた関東学院大学。チームを率いるのは、日体大OBの春口廣さん。入学試験で恩師の綿井永寿氏と出会い、日体大ラグビー部での生活が春口さんを指導者への道へと導いた。
スポーツは勝つためにやるものだが、勝つための過程が楽しくなければならない。ラグビーを通して養った独自のスポーツ観から、日体大を、そしてスポーツを志す若者に熱きメッセージを贈る。

埼玉県立羽生高校教諭・ソフトボール部監督 ◆平成九年卒業
松島京子
ソフトボールの松島京子(旧姓持田)さんは高山樹里選手とともに、日体大在学中にオリンピック出場を果たした(一九九六年アトランタ大会)。全日本と大学の掛け持ちであっという間の四年間だったが、忙しさの中で多くを学び、その経験を現在の高校教員の仕事に生かしている。松島さんが教え子たちに伝えたいというオリンピックの素晴らしさ、上のレベルでプレーすることの素晴らしさとは?

日本体育大学教授 ◆昭和三六年卒業
松田治廣
自ら編み出した「山下跳び」によって東京オリンピック種目別跳馬で金メダルを獲得。
その後、長きにわたって母校で指導をつづけ、数々のメダリスト排出に貢献した松田治廣(旧姓山下)さん。過去四〇年間の日体大の移り変わりを、当事者として受け止めてきた生え抜きの教員の一人である。日体大の大きな特徴は、やはり競技スポーツの追求。スポーツで頂点を目指す学生が、思う存分トレーニングできる環境整備を今後もつづけいていきたいという。

日本体育大学教授 ◆昭和四五年卒業
森田淳悟
日体大と全日本の二足のわらじを履き、深夜までバレーボール漬けの日々を送った学生時代。日本男子バレーボールの黄金時代を支えた森田淳悟さんは、その後も母校で教鞭を執りながら日体大チームの、さらに日本バレーボールの強化に心血を注ぎつづける。変革期を迎えた日体大の将来に関するビジョン、日本の男子バレーボール浮上へのビジョン…。トップアスリートとして世界を相手に戦った貴重な経験から語られる一言一言には、母校とスポーツに対する深い思いがこめられている。

日本体育大学柔道部監督 ◆昭和五八年卒業
山本洋祐
日体大が生んだ柔道初のオリンピック・メダリスト、山本洋祐さん。現在は柔道部監督として後進の指導にあたる。
“平成の三四郎”古賀稔彦選手らとともにオリンピックを目指していた現役時代は、日体大独自の環境を活かして合理的な減量法を採用し、功を奏したという。変わりゆく時代の中で、保つべき日体大の本分とは何か。そのビジョンには伝統競技、柔道の指導者ならではの視点が見える。

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