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●先生方のご指摘 「この言い方は間違い?」キャンペーンで全国の先生方がお寄せくださった、「気になる言葉づかい」のご指摘、ご意見を紹介していきます。 まずは、多くの先生方にご指摘をいただいた敬語の問題。中でも、マニュアル敬語と言われる、ファミリーレストランやコンビニエンスストアでの接客時の言葉づかいに、多くの指摘が集まりました。
「~のほう」という表現の多用。(例)「こちらです→こちらのほうです」「私から→私のほうから」。いつ頃かはわからないが、使う側の意識としては、丁寧の意を含ませているように思われる。婉曲として用いられているわけではないように考えているが、逆に教えていただきたい。(福岡県立小倉南高等学校 大戸吉三先生) 「こちら、本日の資料のほうになっております」などの「~のほう」。婉曲な表現でストレートに言うのを避ける。それによって「丁寧」さを表すかのように思って使っているのではないか。(大阪府 K先生) 「~のほう」という言い回し。「本日は、当社のバスツアーのほう、ご利用いただき…」何にでも付けて話す人が最近とても気になる。丁寧に聞こえるだろうと思って使っているようである。最近特に目立つように思う。(鹿児島県 F先生) 「おつりのほう」という言い方。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディアの力は大きいと思います。(北海道 M先生) 「~のほう」を何にでもつける。また、「~してもらってもよろしいですか」。明言できない自信のなさが言葉に表れているのではないか。慇懃無礼な印象が強い。(石川県 N先生) レストランなどで食事を注文すると、「お飲み物はよろしかったでしょうか」と問われる。なぜ「いかがでしょうか」ではないのか? 選択の余地を狭めているのかな? とにかく注文させたいと。(滋賀県立栗東高等学校 加藤和幸先生) (店頭や電話口で、店員・社員が)「○○でよろしかったでしょうか?」。「よろしいでしょうか?」の婉曲用法か。(岩手県立花巻北高等学校 北田義徳先生) マニュアル用語の一つで、ファミリーレストラン等でホール係が「以上でご注文のほうは、よろしかったでしょうか?」という表現。「よろしかったでしょうか」は、確認を怠らないようにという指導から生まれたのではないか。「~のほう」は、全く丁寧語とはならないが、挿入することで、和らげたと思っている。(宮城県立仙台西高等学校 藤生久志先生) 相手の意志を確認する際、「~でよかったでしょうか」と聞くこと。これもマニュアル敬語のうちと考えられる。断定的な表現をさけるため、最終的な判断を相手にさせるという発想から生まれた表現だと思う。(洗足学園高等学校 斉藤充博先生) ファミレスの店員がこちらの顔を見るなり、「禁煙席でよろしかったでしょうか」などときく。「よろしいでしょうか」と言うべきところを、意味もなく過去形にする言い方が、接客のマニュアル敬語として広がっているらしい。一種の婉曲表現だと思われるが、言われた方は奇異な感じがして、思わず、「私はこの店の常連じゃないよ」と切り返したくなってしまう。(東京都立豊島高等学校 山崎茂雄先生) 「こちらでよろしかったでしょうか」。英語を訳してマニュアル敬語はできているので、その時、そのまま過去形で訳をしてそれを使っているのではないか?と思います。(長崎県 N先生) 「こちらビールになります」。「敬語なるもの」を用いれば相手をたてることができるという誤解・勘違いがあるのでは…。(神戸山手女子高等学校 竹田裕美先生) 各種店員の応対時の言葉づかい。「~になります」等に誠意のない感じを受ける。ここ数年特に気になっている。根底に「人間関係の希薄さ」があるのではないでしょうか?(東奥義塾高等学校 町屋誓一先生) 「こちら○○になります」などと表現するのもおかしい物の言い方である。丁寧な言葉を使おうとすればするほど敬語がおかしな表現になってくるのではないでしょうか。(栃木県 F先生) 「~のほう」には、もともと物事をぼかして言ったり遠回しに言ったりする用法がありますが、それが必要以上に、過剰に用いられているのが問題のようです。『明鏡国語辞典』でも「近年濫用の傾向が見られる」と説明しています。 適切な場面で用いれば、「~のほう」は、慎み深い、礼儀にかなった言葉づかいですから、用法を理解して使いたい言葉です。もし接客業の現場で、「コーヒーのほうをお持ちしました」という表現は不適切だ、という一律的な指導がされているとしたら、必ずしもそうではないことが小冊子『明鏡 日本語なんでも質問箱』で解説されていますので、ぜひご一読をお願いしたいと思います。 「~でよろしかったでしょうか」「こちら~になります」は、今回は取り上げることができませんでしたが、ぜひ第二弾の小冊子で取り上げてみたい問題です。特に、どうして「よろしかった」という過去形なのか、『明鏡』編集委員にずばり文法解説をお願いしたいところです。
「させていただきます」の乱用。(例)「営業させていただきます」(「営業いたします」がよいのでは)。「さ入れ言葉」のきっかけにもなったもので、こちらの方が古いと思います。「させていただく」は丁寧なようで、結構強引だと思います。(類似の例)混んだバスの中で母が子に「その空いたところに座らせてもらいなさい」。強い意志で主張するときに「○○電力は今後も原子力発電を進めて参ります」。意志は強いのに、表面的に柔らかく響く言葉を使うことで衝突を避けようとする気持ちがこれらの表現が使われると思います。マニュアル化して多用されると当人の主張がわかりにくくなるとともに、本来の意味が薄れていくと思います。(岐阜県立中濃高等学校 生駒伸一先生) (若者以外で)「~させていただく」の表現が増えている。テレビの影響がここ十年ぐらい特に大きくなってきていると思う。(滝川高等学校 田村荘先生) 「おたばこは御遠慮させていただいております」(駅の電光掲示板に流されていた)→「おたばこは御遠慮ください」(女子学院高等学校 堀内かよ子先生) 「読まさせていただきます」←許可を得て読むのでもない。あっさりと「お読み致します」にすべきだ。「勝手に許可を取るな」と言いたくなる。「プレゼント致します」ではぶっきらぼうに感じられるのか、他人の言い方に圧倒(影響)されるのか、「プレゼントさせていただきます」に思わずなってしまうようだ。へりくだった遠慮がちな気持ちには感じられない。慇懃無礼そのもの。(大分県 O先生) 「お伺いさせて頂きます」などという過剰な表現。「出ているのですが」で済むところを「出させていただいているのですが…」などと言う。(鹿児島県 S先生) ご指摘のように、「させていただきます」には、「丁寧なようで、結構強引」という側面があるようです。『明鏡国語辞典』では国語辞典で初めて「させていただく」という見出しを立てましたが、「自分の行為が相手の許容の内にあるという、へりくだった遠慮がちな気持ちを表す。しばしば相手に配慮しながら、自分の一方的な行動や意向を伝えるのに使われる。」という語釈にしています。へりくだっていながら、一方的に意向を告げるというところが、「丁寧なようで強引」という感じを抱かせるのだと思います。「あっさりと『お読みいたします』にすべき」とのご意見も納得です。そのほうが、嫌みなく謙譲の気持ちが伝わる場合もあるように感じます。 その強引さを和らげるためか、ご指摘の「~させていただいております」という表現も頻繁に使用されています。ほかにも、「~させていただく所存でございます」「~させていただきたく思う次第です」など、いろいろな言い回しがされています。そこまで言葉を積み重ねていかないと「させていただく」が敬語表現として落ち着かないということなのでしょうか。「させていただく」をめぐっても、編集委員にさらなる解説をお願いしたいと思います。
多くの先生方から、「あげる(上げる)」についてご指摘をいただきました。そのすべてが、敬語「あげる」をペットや無情物(自らの意志を持たないもの)に使うことに違和感があるというご指摘です。 「犬にえさをやる」なのに、「犬にえさをあげる」。(和歌山県立有田中央高等学校 榎本一恵先生) 犬にも「してあげる」などと使用している例。(兵庫県立明石北高等学校 柴崎茂昭先生) 「犬や猫に御飯をあげる」。家庭でも、丁寧語・謙譲語・尊敬語の区別がわからない。(岩手県立黒沢尻南高等学校 髙橋廣治先生) 授業で物理の教育実習生が「スイッチを入れて、電流をながしてあげると…」。言葉をていねいに、相手にやさしく伝えようとして、ていねい語、謙譲語、尊敬語による表現の使い方に混乱が起こっている。(埼玉県立鴻巣高等学校 平田啓子先生) 「~してあげる」「…塩を入れてあげます。」など料理番組にまで使われ、実におどろいています。子どもにお乳をあげる、犬にごはんをあげる、も気になりますが、「ここで砂糖を入れてあげます。」など、ただただ唖然。(香川県 S先生) 「化粧をしてあげる」「犬にえさをあげる」(丁寧語とまちがえた用い方)。ことばをていねいに伝えようという意志は伝わるが、用い方を誤っている。TVなどでタレントあるいは、アナウンサーまでが平気であやまった用い方をしている。(香川県 I先生) 与えるという意味の「あげる」は、目上の人に使う謙譲的な言葉でしたが、謙譲の意を失って丁寧語のようになり、動植物や無情物に使われるようになってきました。 先日、小社発行の『国語教室』(2003年、78号)で、NHKアナウンサーの山根基世さんと、『明鏡』の北原保雄編者が対談をされ、この「あげる」が話題に上りました。二十年ほど前、山根さんの番組で出演者が「赤ちゃんにミルクをあげる」と言ったところ、何十本も抗議の電話がかかってきたそうです。ところが、今は「赤ちゃんにミルクをやる」と言ったら、抗議の電話がじゃんじゃん来るでしょう、というお話でした。人によって反対の解釈になる言葉であるため、非常に気を遣う言葉だと山根さんはおっしゃっていました。 (「あげる」については、『明鏡国語辞典』でも詳しく解説していますので、そちらもぜひご覧ください。) 敬語については、ほかにも多くのご指摘をいただきましたので、ご紹介します。
広告等の「ご応募して下さい」など(「御+する」を尊敬語として使っている)。広告等の業界でチェック機構がしっかりしていないと思います。大人が間違ったことばづかいを活字にしているので、小・中・高校生がおかしな日本語を使っていても罪はないと思います。(桜丘高等学校 浅田裕乃先生) 「えーっと、ですね。」「あのー、ですね。」。丁寧な言い方が過剰になったためか。(埼玉県立越谷南高等学校 市橋康佑先生) 志望の動機における敬語表現や、書き言葉が正しく表現できない。面接における自己表現ができない。親や教師との関係が近くなり、敬語表現が身近にない。友達との会話で通じれば良いという感覚から、いいかげんに話す風潮が広がっている。(北海道恵庭南高等学校 上野直幸先生) 教員・目上の人間に対して、平然と友達言葉や汚い言葉を使う(「うっとい」「きもい」など)。語彙も非常に不足している。流行の言葉には敏感だが、古典的な用語には完全に無知である。大人と会話をしていない。携帯を使用して、流行の言葉の応酬ばかりである。語彙が全く増えないし、敬語も全く進歩しない。周囲の人間との会話の少なさが原因ではないでしょうか。(三重県立南島高等学校 大淵努先生) 相手が目上でも「○○はおりますか?」と尋ねる。「ます」をつけたからといって「おるか?」の横暴さは変わらないと思うが。(群馬県立前橋工業高等学校 金井秀行先生) 私が気になるのは会社等に「~さん」(トヨタさん、ローソンさん)をつける言い方です。誤りかどうかはわかりませんが。(渥美農業高等学校 河合満先生) テレビの食べ物番組でよく「さあ、みなさんでいただいて下さい」などという(「召しあがって下さい」と言えない)。「いただく」は謙譲語で、人の行為に対して用いるのは誤用なのに、敬語はみんな同じで、とにかく使えばよいと思っている。(兵庫県立芦屋高等学校 澤田英史先生) 本来は「~でよろしいですか」と言うべき所をレストラン等で「~で大丈夫ですか」と言う。(例)「お飲み物はコーヒーで大丈夫ですか」(千葉県立船橋北高等学校 篠田耕一先生) 「おられる」は本当に尊敬表現でしょうか? 文法的には理解できるのですが、「おる」の語感(イメージ)は決してフラットではなく、謙譲的だと思うのです。年配の男性がよく使っている表現です。「おる」に対するイメージに特に抵抗感がないのだと思います。(北海道七飯高等学校 高瀬容子先生) 尊敬語と謙譲語の使い分けができない。日常生活で敬語を使う機会が減っているのではないだろうか。(福岡県立宗像高等学校 立邊理恵先生) 「千円からお預かりいたします」の一つ前の言い方で、千円きっちりの買い物の時でも「お預かりいたします」と言った。きっちりの時は「いただきます」または「頂戴します」と言い、おつりのある時は「お預かりします」と言えと教えられた者には、「千円から…」の言い方と共に気になってしかたがない。正確には思い出せないが5、6年前からの傾向だと思う。以前はマニュアルでも正確な言い方を心掛けていたのに、今は語感だけ、口先だけの言い方が優先するようになったのではないか。(東京都立大山高等学校 服部貢先生) 「お名前様はなんとおっしゃいますか」。宅配便で不在のとき、電話を入れるとこのように質問されがっくり。(岩手県立種市高等学校 堀岡安雄先生) 自分の身内のことを、父・母・姉・兄・祖父・祖母と表現せず、「うちのお父さん」とか「お兄ちゃん」という言い方を当然としている様子。敬語を使わなく、使えなくなっていることの一端と思われる。教員に対しても、ため口を利くのが普通に見られる情況になっているためかも。本人は「ため口」という意識なくしてため口になっている場合がふえているように思う。(福井県立藤島高等学校 堀康子先生) お店で店員に何か依頼した時に、「よろしいですよ。」と返答されること。最近のことであるが、40~50代の店員にもみられることである。客に対し、「よろしい」という使い方はおかしいのでは?(埼玉県立川口高等学校 松井孝史先生) 「A先生が~して頂きました。」は、「A先生に~して頂きました。」又は、「A先生が~して下さいました。」。「~頂く」は謙譲語、「~下さる」は尊敬語、これを混同している。(湘南高等学校 松村千津子先生) 中高生においては、ら抜き言葉によって可能の意味を表すのが普通になっているように感じます。「られる」で尊敬を表す頻度も低く、「られる」は専ら受身の表現となっているようです。五段活用の動詞(口語)と同じ道をたどっているだけだと思われます。近々可能動詞として認めざるを得ない日が来るかも知れませんね。(北陸高等学校・中学校 元田裕之先生) 会社に来訪あるいは電話などして取り次ぎを頼んだとき、その人が欠勤だと「○○はお休みをいただいております。」と言われることがある。丁寧な返答とは思うが、何かしっくりこない。この違和感は、「いただく」という謙譲語が、誰に対して用いられているかが曖昧な点にあると思う。会社側としては来訪者への敬意のつもりなのだろうが、休みは会社側(社長)が社員に対して与えたもので、そこに来訪者の権限が入り込む余地はない。その矛盾に起因すると思うが、いかがなものであろうか。(盛岡スコーレ高等学校 山嵜康弘先生) 「千円からお預かりします」の「から」については、私がバイト生活をしている時に使ってしまっていました。その時の内省から、どうしてそう言ってしまうようになったか、思い当たるふしがあります。消費税導入と関係深いと考えます。ほぼ毎回金額に端数が登場するようになって、支払時、財布の中の小銭を探すようになりましたが、店員の立場でいうと、まず千円札を出されたときに、「小銭は出ますか?」という意味で「千円からでよろしいでしょうか」と尋ねたくなります。そして小銭が無いとなると「千円お預かりします」となるので、それが短縮されて「千円から……お預かりします」となったと考えます。自分自身、そのような心理で使っていました。(東海学園高等学校 龍神邦男先生) 「○○先生いますか?」「○○先生、明日来ますか?」など、なんにでも、「です」「ます」をつければ敬語になるという思い込み。ここ4、5年特に気になるように思います。古文を教えていても、尊敬語と謙譲語の敬語表現の違いが理解できない生徒が増えました。日頃敬語を使い慣れていないので、どうしても敬語を使わないといけない時に、「です」「ます」を語尾にくっつけるようです。誰に敬意を表すのかということを考えず、とりあえず敬語になればいいという考え方なのではないでしょうか。(岡山県 A先生) 相手かまわず、「申し出て下さい」。謙譲語に対する理解が不足というか、難しいのだと思います。(神奈川県 I先生) 「質問はございますか?」。ございますは謙譲表現なので、「おありですか」とすべきではないでしょうか。(静岡県 I先生) 教員に対して、いわゆるタメグチで話してくる生徒がとても多くなりました。早退をするために職員室に来て、「ダルイー、先生、帰るー」など。入学して間もなくから上記のような表現をするので、中学在学中からもそうだったのでしょう。(埼玉県 K先生) 電話の受け答えで、保護者からの問いかけに対し、「只今○○先生はいらっしゃいませんので~」と言うのは恥ずかしいです。また、「~はおりますか?」。立場による使い分けができない。立場をわきまえた発言もできなくなってきているようです。(岩手県 S先生) 目上の人、初対面の人に対しても、いわゆるタメ口をきいてしまう今どきの若者に対して不安を覚えます。携帯電話の普及に伴い、絵文字で表現するなど、書きことばも満足に使えない若い人が増えていると思います。(埼玉県 T先生) 「ご報告する」(サ変動詞に「お~する」の謙譲の形を重ねたもの)を「ご報告をする」(名詞+助詞+動詞)にするのは間違いではないが、同じ感覚で「お待ちする」を「お待ちをする」と言う人が出て来たのでキモチワルイ。2年ほど前からか、会議の席上など比較的かたい雰囲気の場所で用いられる。サ変動詞を「名詞+する」と思い、助詞を入れないときちんとした言い方でないような気がするかもしれない。で、入れているうちに、「お+動詞連用形+する」にも、「を」を入れてしまうのではないか。(神奈川県 N先生) 「考えております」と言うところを「考えてございます」と言う。数年前から、特に企業人に多いと思う。「より丁寧」と考えた為と思う。(愛媛県 N先生) レストランなどで「おたばこをお吸いになられますか?」(「なりますか?」の誤り)。従業員教育の乱れか。(神奈川県 H先生) ラジオのトーク番組で、あったことです。ゲストに対して、アナウンサーと思われる人が、「私にお会いした時、~でしたねぇ」と、話しかけていた。よくある(あってはならない)敬語の誤り。「お~した」が謙譲であることを知っていない。また、ゲストに対して、「ゲストが私に会う」という図式を頭に描いて話すことにすでに問題はないか。(千葉県 M先生) 「~を召しあがりますか?A.はい、召します。(テストの実例)」――本人は、“~あがる”をとったので、敬語を言い換えたつもり。敬語をつかう場面がない。親、先生、先輩、近所の方々…皆(友達と同じ)語彙のら列だけ。(広島県 M先生) 敬語はまず、ウチとソトの区別がつかない子供が増えているためにますます使えなくなっているように感じます。敬語のウチとソトは、親が他人に子供をちゃん付けで呼んだりする環境にいれば仕方がないのかもしれません。(東京都 Y先生) 敬語と同じくらいご指摘が多かったのが、いわゆる若者言葉です。まずは、小冊子『明鏡 日本語なんでも質問箱』で取り上げた「なので」「~的」についてのご指摘を紹介します。
「だから」「それで」「そういうわけで」全部ひっくるめて、「なので」だけしか使わない。友達としかはなさない。世間の狭さや、マスコミの流行語の使用に関心が向いていて、一般的日常語を正しく使わねばならない「場」での生活体験に乏しいなど、「遊び人」的生活者が多すぎるせいではないかと思います。(愛媛県立川之石高等学校 西園寺千代先生) 「今日は雨が降っている。なので、遠足は延期になった」。テレビ、雑誌の影響?(接続助詞「ので」の前に形容動詞の連体形活用語尾がついたのでしょうか?)(福島県立勿来工業高等学校 斎藤恵子先生) 話(特に面接練習)や作文で「なので」を、接続詞として使っている。たぶん、「だから」「従って」の意味であろう。新聞・書籍を読まないので、口語と文章語の区別がつかない。(広島県立三次高等学校 佐久間雅子先生) 「なので」を単独で、接続詞として使う。昨年ぐらいから、アナウンサーも使っている。(東京都立中野工業高等学校定時制 南斉道雄先生) 「なので」を接続詞として用いる。私はこの語を「~なので、」と文の途中に用いられるものと認識していたが、最近「~。なので、…」と文頭に用いるのを見聞きするようになった。3年ほど前から気になるようになった。なぜこのような使われ方をするようになったかはよくわからないが、言葉の乱れ全般についてはTVの影響が大きいと思う。(山梨県 I先生) 「…なので、」という接続助詞の使われ方が、口語の場面で、「…。なので、」と、一旦置いて接続詞のように使われ、現在では、書きことばでも使用する例が見られる。ここ数年以内に発生したか。(宮城県 O先生) 「雨が降っています。なので行きません」。「なので」を接続詞として用いている。今年になってよく耳にするようになりました。(愛媛県 N先生)
「私(わたし)的には…」。「私」の代わりに自分の名が入ることも。娘(中2)の言葉遣いから。学校でもよく聞く。4,5年前からか? テレビでも見聞きする。(大阪府立桜塚高等学校 石田誠先生) 「私的には…」。すでに日常会話として定着しているような気がする。(向陽高等学校 久保良子先生) 「~的には」。少なくとも家庭内では使用してはいないので、我が子も使っている点を考えると、マスコミや子ども同士の会話の中で多く使用されているのだろうと思われる。(宮城県石巻女子高等学校 須田徹先生) 「~的」の用法が気になって仕方ない。「~のような」の意味で本来ファジーなニュアンスがあるが、「積極的・主体的・精神的」等、漢語に付属して(例外もあるが)意味を成すのではないか。それが、和語やとんでもない外来語を伴って使用されている。特に野球解説やバラエティ番組で数年前から、頻繁に使われる。「タイミング的」「気持ち的」。ひどいのになると、「バッター的」「ボール的」。確かに、感覚的には伝わるものがあるし、説明のわずらわしさはない。しかし、耳障りで、苛立たしい。(愛媛県立津島高等学校 清家信孝先生) 「~的」の多用。本来は漢語にしかつかないはず。音読語と訓読語をあまり意識しなくなってきている。(奈良県立王寺工業高等学校 西野禎一先生) 「僕的」「私的」と、使う必要のない場面で「的」の頻繁な使用。「僕的」という言い方を耳にし始めた当初、サッカー選手がインタビューで盛んにこのような言い方をしており、この影響かなと思われた。若者の言葉の乱れは、マスコミ特に視聴率の高いドラマやコマーシャルの影響が大きいと思われる。(静岡市立大里中学校 松川満嘉先生) 「私的には」。テレビの影響かと思われるが、作文や論文にまで書いて困る。(三重県立度会高等学校 森本晶子先生) 「~的」を書き言葉に直させると、直すということすら考えつかない。直させたのは今年の夏、採用試験対策として考えさせた。(新潟県立新潟東工業高等学校 山崎美香先生) 「私的には」の「的」の使い方。意見発表の時、「的」を使うことが多い。(東京都 S先生) 私的」「自分的」など、あいまい化した言い方。コミュニケーション力の低下から、相手と自分の距離をしっかり区別するのが恐いせいか、よりあいまいに…という方向に言葉が動いている気がする。(長野県 O先生) 「~的には」という表現の多用。(例)「私的には~」「自分的には~」「先生的には~」など。4、5年前から聞くようになり、口語だけでなく、作文の中でも平気で使うようになった。TVの中でタレントが使い始めたのではないかと思っている。(東京都 F先生) 「なので」を接続詞として使うのが気になる、というご指摘を多くいただきました。「だから」や「ですから」があるのに、新たに「なので」が接続詞として使われるようになったのは、「から」と「ので」との違いを反映させようとしたのだ、と『明鏡 日本語なんでも質問箱』では解説しています(「から」と「ので」の違いについては『明鏡国語辞典』にも詳しい解説がありますので、ご覧ください)。確かに接続詞「なので」の誕生には表現上の理由が感じられますが、「だから」「ですから」「そのため」「それで」など他の接続詞との使い分けをせず、話し言葉でも書き言葉でも「なので」で済ませてしまうのは適切ではないのでしょう。新しい用法なので現時点では違和感を感じる人が多く、使用には注意が必要だ、と解説でも述べています。 「~的」は、先生方のご指摘にあるように、普通は漢語に付き、和語にはほとんど付かないというのがこれまでの用法でした。『明鏡国語辞典』の「的」項目にも、「多く抽象的な意味を表す漢語に付いて」という接続情報が記されています。それが近年は多くの和語や外来語に付けて用いられています。『明鏡 日本語なんでも質問箱』では、「金銭的には不自由しない」「お金(かね)的には不自由しない」という例文で説明されていますが、「金銭的」なら許容できても「お金的」は許容できない、という人は多いと思われます。
文末に意味なく「し」を付ける。これらを「誤用」として恥じるのではなく、「若者ことば」として積極的に認めてしまう風潮が一番問題だと思う。(岐阜県立岐阜三田高等学校 野田勝先生) 「知らんし。」。この地方だけの流行か、とも思いますが、わかりません。(三重県立度会高等学校 森本晶子先生) 「~だしぃ」。本来並列的に並べる接続助詞「し」を文末に持ってきて、話をぼやかしてしまう。さらに、むやみに延ばしてだらしない。ここ5、6年の間の変化のように感じます。(暁中学高等学校 行方一也先生) 助詞(間接助詞・接続助詞)の用法にないと思われる「し」の連発。(例)「俺知らないし、」。聞くようになったのは2~3年前から。(山梨県 O先生) 文末に助詞?「し」の乱用が目立つ(気になる)。「宿題やって来たか。」の問いに、「やったし」、「テレビ見たし」…終止形の後に「し」がつく様です。強意の「し」なのでしょうか…。ここ一年程、気になります。高校生も使ってますが、実は小学生の娘も「○○したし」「ごはん食べたし」など、文末に「し」をつけた会話をしてます。何なのでしょう。並列の場合は使ってましたけど、言い切りでは…。(東京都 N先生) 終わりに「しー」と付けて話す。例えば、「知らんしー」「私のじゃないしー」「イヤヤしー」。「若い人は…」と言われがちな言葉の乱れですが、かなり年配の識者と言われる方も若者言葉を好んで使っている人がいるような気がしてなりません。(石川県 H先生) 「~し、」を「~し。」で使う。「し」が終助詞のようになっているのではないか。(例)「そんなこと言われても困るし。」(広島県 N先生) 「~し。」ちょっとこの文体で終わるしゃべり言葉が気になる。文をつないできちんと言える子が少なくなってしまった。つい数年前から。たぶん、マスコミで話題になっている。(静岡県 Y先生) 接続助詞でない語尾の「し」。(例)「私もやるし」「見てないし」。意見(不満)を述べながらも、断定・言い切りを避けます。語尾を濁す感じです。(東京都 O先生)
「~じゃないですか」。ここ数年のことだと思います。テレビなどで「識者」といわれている人が使っていますが、「識者」でも何でもないと思ってます。(北海道上川高等学校 相澤宏行先生) 気になる言葉づかいとして、「~じゃないですか」という言い方。例えば、ごく普通の会話の中で「こんな記事が新聞に出ていたじゃないですか」と語尾を強調して話す人が目立つ(一般の大人)。以前テレビの中で年配アナウンサーが同じ若いアナウンサーが上記の話し方をした時、たしなめていた。人を問い詰めるような粗雑な話し方のような感じがして気になっています。(静岡県立榛原高等学校 尾崎光男先生) 「~じゃないですか」。ていねい表現(敬語)として用いられている? 十数年前から耳にしている。主にTVなどで世代を越えて使われているか。念押しに使うと思っていたので、ひどく耳障りに感じている。(東京都立井草高等学校 滝口正先生) 「~じゃないですか。」。若い世代から広まったと思いまいか? 今や年令層が広まっている。同意を求められるような言い方だが、~なのでと言えば済むこと。(東京学園高等学校 宮島茂樹先生)
「微妙」という語の乱用・誤用。芸能人からか?(千葉県立長生高等学校 篠崎和彦先生) 「微妙」という語でOK以外を、すべてまかなっている。細かな違い、理由などの表現方法を知らないようで心配になる。最近(2~3年前から)目立ってきた。(白鴎大学足利高等学校 髙柳洋子先生) 「ビミョー」。ここ1、2年とくに思います。対象をぼやかすことで、責任の所在を不確かにするのか…と。(岐阜県 K先生) 「微妙」という答えが多く返ってくる! 小学生や高校生まで使いやすいからだと思うけれど。(石川県 H先生)
「フツーに」という言葉。ここでの「フツー」とは、いわゆる「普通」なのではなく、大げさではなく、という感覚の意味。使用例としては、「フツーに疲れた」や、「フツーに頭にきたんだけど」など。4~5年ほど前から聞くようになりましたが、最近特に気になります。おそらく、「フツー」とは「素(ありのまま)で」という意味であろうと思います。(静岡県立御殿場南高等学校 菅原尚規先生) 「なぜ遅刻したの?」→「普通に…」。語彙の不足、表現力の低下。(京華商業高等学校 曽根和志先生) 「フツーに」を強調表現として使う。2年ほど前から、マスコミを介さず口コミで広まったと思われる。(東京都立中野工業高等学校定時制 南斉道雄先生) 「普通に(フツーに)<述語>」の形が気になっています。(例)「普通に驚いた。」「普通に悲しかった。」→「普通に~できる」の意が言外の前提にあるのでしょうか? 現在の10代後半から20代前半の人が使うと思いますが、上記の例の意味が a.誰でもそう感じる程度、b.非常に、なのかよくわからず困っています。(北海道 I先生) 「普通に」が何でもかんでも使われるのも気になります。ここ3、4年ぐらいから気になります。(北海道 O先生) 「普通」(フツウ)・「微妙」(ビミョウ)などの語の多用と誤用。(例)「気分はどう?」「フツー。」「ビミョー。」などの答え。あいまいで、説明不足。自分だけの感覚でものを言い、他人に伝わらない。(東京都 S先生) 「地味に~」という表現が増えているようです。「ちょっと~」と同義で用いられることが多いようですが、面白いと思います。(例)「昨日のテレビ地味に面白かったね」など。(北海道 O先生)
「ヤバイ」を「すばらしい」「とてもよい」の意味で使う。「この料理ヤバッ!おかわりしたい!」などと使う。すばらしすぎてくせになると困る、といった意味か。(東京都立中野工業高等学校定時制 南斉道雄先生) 若者が食べ物の味を「やばいよ、この味。」と言うこと。「この味、(くせになってしまいそうで)やばいよ。」という意味らしいです。(埼玉県立川口高等学校 松井孝史先生) 「やばい」。おいしい、すごい等の意味で使用、「やばい」の意味の拡大。(栃木県 F先生) 「やばい」という言葉を生徒がよく使います。もともと俗語なのですが。「やっべー」「やばっ!」など形を変えていますが、最近は意味もかわっていて「やばい、よく分かる」「やばい、楽しいかも」など、良いことを強調する時にも使っています。自分自身も気づかないうちに使っていたので…。(島根県 Y先生) 「有り得ない」の多用。語彙不足により、表現力が欠如している。(北海道倶知安高等学校 宮澤正行先生) 「超」が下火になってきたと思ったら、次は「ありえない」が大流行していますね。ピントのずれた使用も多いように感じるのですが…。半年ほど前あたりから、ブームになったように思います。「信じられない」と同意のようです。(岩手県 O先生) 「課題の〆切りは今日なので、未提出の場合は居残りをして最後までやり終えてもらいます。」に対して「そんなん、ありえへん(ない)。」と高校生徒が答える。ここ2~3年、高校生の間でよく使われるようになったと感じる。かつては「ないやろ。」「ないわ。」だったのが、強い否定の意味を込めて使用されるので、とまどっている。(奈良県 N先生) 若者言葉でご指摘が多かったのは、「~し。」「~じゃないですか」「微妙」「普通に」「地味に」「やばい」「あり得ない」です。文末に助詞「し」が来る用法については、『明鏡国語辞典』でも「最近では、理由や言い訳を言いさしにした終助詞的な使い方も見られる」という説明をしています。「じゃないですか」は、残念ながら見出しを立てていません。ご指摘によればもはや若い人だけの言葉ではないようで、今後『明鏡』でも見出しを立てて説明する必要がありそうです。 「微妙」「普通に」「地味に」「やばい」「あり得ない」は、一種の流行語でしょうか。ご指摘にあるように、あれほど用いられた「超」も最近はあまり聞かれないようで、「超」へのご指摘はそれほどありませんでした。 じきに消えてしまうかもしれない表現ですが、どうして「普通に疲れた」「地味に面白い」などの用法が生まれることになったのか、若者言葉の理屈を編集委員に解説してもらいたいところです。
「違った」「違ったのだ」「違ったのです」等の表現を、「違かった」と表現。つまり、動詞を形容詞的に活用させた、新語を無意識に用いている。この10年程10代の男女が用い始めた。先日は20代半ばのバスガイドが口にしたので少し驚いた。幼児の成長過程に現れる語形である。煩わしい待遇表現を無意識のうちに若者が避け、動詞を形容詞的に活用させた、一種のボヤカシ表現。若者の精神の退行現象でもある。(東京都立北野高等学校定時制 青木信行先生) 「違う」の過去形は「違った」でいいと思うのですが、「違かった」ではいけないのでしょうか。「違う」は動詞ですが、形容詞的な意味あいが強いように思います。そんなことから、形容詞型活用をさせて用いる使い方が出てきたと考えたりするのですが…。(西武台千葉高等学校 久保木泰司先生) 「きれくない」「あの人みたくなりたい」。「~いだ」という形容動詞(型)の形容詞的活用。大人の方がよく使っている。10年ぐらい前からでしょうか。(鳥取県立倉吉東高等学校 浜路政庸先生) 高校生や卒業生がよく使う「違くて…」という言い方。私の記憶では、6~7年前に卒業生が何度も使っていて、気になった言いまわしです。「違う」という動詞を形容詞型に活用させた言い方でしょうか。(東京都立久留米高等学校定時制 深津有方先生) 「大そうじで教室が随分ときれく(きれいに)なりました」。ここ10年ぐらいよく耳にします。本来形容動詞であるのに、形容詞化しています?!(姫路市立琴丘高等学校 堀紳二先生) 「違く(っ)て」という言い方。「そうではなくて」「~じゃなくて」という意味なのはわかりますが、よく耳にします。動詞「違う」が形容詞のように使われています。このあたりの方言と思いながらも、使っている生徒達にその意識はないようです。(福島県 K先生) 「違う」を動詞で使わず「違かった」「違くない」等形容詞で使っている。「違う」の連用形chigaiを形容詞「近い」「赤い」「高い」等にひかれて形容詞化した。(長野県 K先生) 例えば「それとは違って~」と表現すべきところを、「違くて~」と書く生徒が増えた。表記ばかりかと思っていたら話し言葉でも「ちがくて~」と発音する。10年程前から生徒の作文で見られるようになった。ク語法が変化したものか、「違う」が形容詞的内容なので、そのまま形容詞変化をさせたのかと思うが、奇異に感じる。(岩手県 M先生)
昔「すごく良(い)い」、今「すごい良(い)い」。口語によく見受けられるのでしょうが、一体何なのでしょう? イ音便ではあり得ない。(岩手県立軽米高等学校 安藤裕之先生) 形容詞連体形の連用的用法(「すごくおいしい」)。服装等にうるさくなくなったのに伴って言葉も乱れて来たものと思う。すべてに厳格さが失われて来た。(神奈川県立相武台高等学校 伊落利衛先生) 「凄く」と言うべき処を「凄い!」と感嘆形で中止法的に逃げる。人間関係に「ゆるみ」が生じてきている。言葉は、生きる姿勢そのもの。 (熊本県立人吉高等学校 緒方裕之先生) 「すごい美味しい」(「すごく」である)。すごくおいしい、だと方向がひとつになり、おいしいが強調されすぎる響きがある。そのため、断定を避けたがる風潮の反映として、「すごい」とまず言い、方向性を定めず、そのあとは大人しく「おいしい」とつけたのではないか。つまり「すごく」の方向限定の強さを避けているのである。(岩手県立花北青雲高等学校 畠山正之先生) 連用形と連体形の混乱。「すごい感動した」。民放TVの女子アナウンサーや、アイドルの発言、マスコミの影響が大きいようです。(長崎県立長崎南高等学校 福本哲也先生) 形容詞の活用が失われつつある。「すごいおもしろい」という副詞化を皮切りに、最近は「うまいかった」などの形も出てきている。テレビに関西弁が多く流れる中で「すごいおもしろい」などの副詞化した形容詞が共通語へと広がったのではないかと考える。(岐阜県立瑞浪高等学校 前川泰信先生)
「全然わかります」「全然OKです」。テレビ等の影響でここ5年くらいの間に現われてきた。(呉市立呉高等学校 窪田夏樹先生) 「全然」という語の肯定文での使用。古くはあったと言われるが。(千葉県立長生高等学校 篠崎和彦先生) 「全然―(否定)」の呼応で時代による使い方の違い等。(新潟県立村上桜ヶ丘高等学校 須佐幸平先生) 「全然」を肯定表現として使う。(例)「全然おいしい」。芥川の作品の中には使用例もあるとは言うが…。小論を指導して、文脈のねじれを来した文をよく見かけるようになった。これらから類推すれば、呼応関係などというものは彼らの中で、崩れてしまっているか、まったく意識されてないのではないか。(愛媛県立今治西高等学校 武内靖先生) 「全然」の後に肯定表現を用いる。(例)「全然平気」(希望が丘学園鳳凰高等学校 田中浩先生) 「全然できる」「全然いけてる」(全然―否定表現という呼応の誤り)。3、4年前からよく聞くようになった。“正式な言い方としてはまちがっているのだ”ということを知っていて使ってるところもある。(東京都立山崎高等学校 徳原綾乃先生) 「全然いいですよ」「全然気分いいです」など、呼応の形がくずれてしまっている。テレビのタレントなどが、「全然OKっす」などと使っていた経緯からか?(宝仙学園中学・高等学校 西中間麻由美先生) 「全然」の使い方。「全然大丈夫」(長崎県立長崎南高等学校 福本哲也先生) 「全然おもしろい」。話し言葉において、打ち消しを伴わない使い方(「非常に」「とても」)を耳にすることが多く、違和感がぬぐえない。(愛媛県立東予高等学校 山本健司先生) 「全然大丈夫」「全然平気」など、全然のあとに肯定的表現を伴う言い方。服を試着した時、「全然似合いますよ」と言われ、違和感を強く持った。「全く」「すごい」とう意味で使われることが多くなった。打ち消し呼応の表現と解していたが、芥川の『羅生門』に、「全然、反対な方向に動こうとする勇気」という用例もあり。古くからあったものか? 近年肯定用法が隆盛。(山形県 K先生) 「全然大丈夫です」(副詞の呼応のミス)。きちんとした文法よりフィーリングを重視する傾向にある。(島根県 O先生) 「違かった」「きれくない」「すごいおもしろい」、また否定的表現を伴わないで使う「全然」について、非常に多くのご指摘をいただきました。特に話し言葉で多いようですが、今回、「話し言葉と書き言葉の区別がつかない」「口語で作文を書いている」というご指摘も少なからずいただきましたので、若い人の間では書き言葉としても定着してしまっているかもしれません。これらについても、改めて編集委員による解説をお届けしたいと思います。
「何気なく」→「何気に」。40代の人も遣う。同じ意味として使われているようです。(茨城県 I先生) 「何気に~」という言い方。本来「何気無い」「何気無く」と言うべき。その省略形か? 意味を考えれば、そのおかしさがはっきりする。「何気無く」は「何の気無しに」、「何ということもなく」が原義で、「何気に」の場合、「何となく」に意味が変わってしまう。形容詞の形容動詞化なのか。(山形県 K先生) 「なにげに」。「何気なく」の省略。ここ3年位。(東京都 K先生) 「何気に~する」。「何気なく」の意味で、「なにげに」が使用されている。少なくとも5~6年以上前から使われている。「なにげに言う」「なにげに聞く」など、ごく普通の状況で使われているようです。(神奈川県 K先生) 「何気なく」を「何気に(なにげに)」と使い、「何気に~する」という表現を多用する。最近では、生徒の作文の中にもちらほらと見ることができるようになった。6年前、同僚の若い教師がよく「なにげに」を連発して使っていました。6、7年前からの流れだと思います。(山梨県 K先生) 「何気なく」が正しい日本語のはずなのに「なにげに」と若い年代がつかっており、その影響をうけて、教師の中にも「なにげに」と使っている人が居る。(富山県 T先生) 「何気に」という言い回しは、かつてはみんな、はっきり「流行り言葉」として分かっていて使っていたように思うが、最近、テレビでのコメントや、生徒の作文などで、平気で使っている。(山梨県 N先生) 「何気なく」と言うつもりで、「ナニゲニ」と言っている。様々な単純化、短縮化が見られる(昨年か数年前から?)。これもケータイ文化というものだろうか?(静岡県 H先生)
「はやい」や「遅い」など形容詞を「はやっ!!」「おそっ!!」など語尾を省いて言う。「あの子まだ来てないよ」「おそっ!!」(埼玉県立深谷第一高等学校 秋山都先生) 「うざい」(「うざったい」からきている)「きもい」(「気持ちが悪い」からきている)。短縮形容詞化が、急速に進み、大人にまで広がっている。(福岡県立博多青松高等学校 飯田一彦先生) 形容詞の活用語尾を省略する傾向がある。例えば、「うるさい」と言わず、「うるさ!!」とか。正式名称をちぢめて言うのもよく耳にする。TVのバラエティ番組等の影響が大きいと思う。ここ2~3年で特に目立つように思う。携帯電話のメールにおいても、言葉を縮めてうったほうがたくさんの情報を送ることができるからか?(石川県立羽咋工業高等学校 木村智恵美先生) 言葉の前後を詰めて言うので本来の言葉を理解出来なくなっている。そのような省略語(意味不明の語)が多く使用されている。それは文法以前の問題であり、日本語が失われる寸前である。読書をせずに文字離れが大きい。言葉を大切にしていないからである。(聖ウルスラ学院高等学校(退職)澤田教聖先生) 携帯電話のメール交換が、単語や句や文の短縮・省略をエスカレートさせている。特にやりとりの多い高校生にはその傾向が強くなっている。(広陵高等学校 世良泰弘先生) ザコい(取るに足らない、つまらない、の意)。「せこい」は正しい語であるが、最近「気持ち悪い」を「キモい」という。これは形容詞を短縮して形容詞として使っているが、先日小2の娘と小3の息子の会話で「雑魚」に「い」をつけ、形容詞化させて使っているのには驚いた。同一品詞の短縮化(特に形容詞)が異なる品詞間にも及ぶようになったのでは……。(仁愛女子高等学校 西川浩一郎先生) さまざまな状況や場面において、その時々の感慨を適切な言葉で表現できるようにするのは、国語教育の重要な一面だと思います。ところが、昨今の中高生の「キモイ」(意に反する)「キショイ」(気色が悪い)など、あらゆる場面において、これらの言葉で表現する現象が見られるようになってきたと思います。ある意味では、古文単語の意味の多義性にも類似するといえなくもないのですが、なぜ悪い感情語にこのようなことが見られるようになってきたのでしょうか。上記とも関連するのですが、短縮した表現が数多く見られるようになってきました。日本語がもつ本来の性質に由来しているのだから仕方がない、と思いつつも、「マジ」(本気で)「~テカ」(~というと)「キョドル」(挙動不審)などの起こった心理的な背景がつかめないかぎり、国語教育の改善点には繋がらないと思うので、お教えください。(神戸星城高等学校 宮野宣康先生) 略語が近年多くなったと思います。特にIT関係、ラジオのニュースなどでは、あまり使うべきではないと思っています。MBA、MITなど。インターネットが普及するようになってから。(基督教独立学園高等学校 渡辺大祐先生) 「むずい(難しい意)」「きしょい(気色悪い)」「きもい(気持ち悪い)」。3音節、4音節に短縮する。自分が高校生の時は「気持ち悪い」を「きもわり~」と言ったが、語構成がはっきりしなくなる「きもい」は自分では用いない。「なにげに(何気なく)」も同じで、これらの短縮形は定着しつつあるようだ。(三重県 I先生) 敬語が使えないのはもちろん、相手を攻撃するような言葉が多用されるのが気になる。特に女子。「うざい」「きもい」など。テレビや雑誌の影響ははかりしれない。女子が男子以上に汚い言葉を使う。(茨城県 O先生) 「ムカつく」「キモい」「ウザい」などの多用は、気持ちの荒れを促進するのではないかと思われる。他人が使うのを聞いていて不快。省略したものの言い方は、マスコミなどが好んで使い、若者へと広がったのではないか。(埼玉県 K先生) 昔「あな、かま〈かまし、かまびすし〉」。最近のもの「きしょ(っ)〈気色悪い〉」「はや(っ)〈早・速い〉」。昔から省略はあります。以前のものとしては「チョベリバ」。(愛知県 K先生) 「キショイ」「キモイ」「ウザイ」など。短縮形(?)にすることによって、調子(リズム)がよくなるため気軽に口にのぼりやすい。こうして言葉が広まることによって言葉が現実や内実に影響を与えるようになる(「キショイ」と言われた人が「キショイ」存在として疎まれる、など)。(大阪府 K先生) 「ウザイ」→「うざつく」や「うざうざ」から派生したものではなく、「うるさい」の中ぬき言葉なのでしょうが、いやなひびきですね。先日、孟浩然の「春暁」を暗誦させたところ、「夜来風雨の声」で生徒が笑うのです。「やらい」が「いやらしい」を意味すると初めて知りました。(大阪府・T先生) 「デカイ」「ヤバイ」などという言葉を教員も使っていることが気になります。これは男女にも年齢にもあまり関係なくです。言葉を短く縮める傾向があるのも気になります。生徒が創り出す言葉をそのまま教員も使ってしまうことが気になります。(埼玉県 Y先生) 日本語の宿命だとは思いますが、省略語があまりにも多いのが気になります。「自己中」「あけおめ」など、そこまで省略する必要があるのかというほど。昔から素敵な日本語があるのに、それを知らないからか即物的な新しい言葉が流行するのも気になります。「素足」という響きも美しい言葉があるのに、「生足(なまあし)」などと扇情的な表現が使われていること。もちろん、「ら抜き言葉」や「マニュアル敬語」も気になりますが……。やはりマスコミの影響がとても大きいと思います。本を読む量は少なくなり、情報はテレビから取り入れることが多い中で、情報を提供する側の意識改革がない限り、どんどんひどくなる一方じゃないでしょうか? テレビ番組でも平気でら抜き言葉を使い、流行語をもてはやし、いい大人が適切な言葉を知らな過ぎるのですから、仕方ない気がします。もちろん自分も含めて自戒の意味を込めて。(愛知県 W先生)
「やりずらい」(やりづらい、の誤り)。「一つづつ」(一つずつ、の誤り)。バラエティ番組などで10年くらい前から出演者の面白い発言などを字幕で出すようになったが、それらの表記の誤りをそのまま子供達がまねをしている。(福井県立福井商業高等学校 石谷一城先生) 「こういうことは…。」などにみられる「いう」の表記が「ゆう」となっている点。数年前から生徒たちの作文などにこの表記が目立ち始め、ゆゆしく感じていたが、最近ではテレビのテロップにも出てくるようになった。歴史的仮名遣いから現代仮名遣いへ表記が移行し、更に次世代の新しい表記に向かっているのか、不明である。発音が直接表記に影響し、「いう」が「ゆう」になるのであれば、「今日(きょう)」が「きょお」、「~しよう」が「~しよお」に移行していくのであろうか。今のところ全くその傾向は見られないが、なぜ、「いう」=「ゆう」に限って最近顕著に見られるのかが疑問である。(京華商業高等学校 曽根和志先生) 30%くらいの生徒が「言う」を「ゆう」と表記します。言文一致の流れ?(大阪府立箕面東高等学校 西田和美先生) 文章に「…とゆう」と表記する。(広島県立三次高等学校 佐久間雅子先生) 「~とゆう」(~という)などが顕著になってきている。いずれ数十年後には認められるようになるだろう。「情緒」「消耗」のように。(鹿児島高等学校 吉田博一先生) 「違くて(違って)」や「そーゆー(そういう)」。テレビなどでメディアでも平気で誤字を出してしまうし、漫画などの影響も大きいと思う。(千葉県 I先生) 「已むを得ない」を「やむおえない」と書く人が増えた。アナウンサーの発音もそうとしか聞こえないことが多い。表記としては15年ほど前から目にし、アナウンサーの口調はここ5年くらいか。(徳島県立脇町高等学校 筒井明江先生) 「こんにちわ」。生徒が上記のような間違いをしているなと感じていたら、マンガ本の中でも同じように記してあったので驚いた。作者はわざとそのように書いているのかもしれないが、子供はそれが正しいと思ってしまうのでは。(山梨県 S先生) このほかにもさまざまなご指摘、ご意見をいただきましたので、ご紹介します。 高校生・若者の言葉の状況について、貴重なご指摘が数多く寄せられています。
「今晩飲みに行く?」の「に」が消えつつある。若者は意識的に「ノミイク?」と言っている。(愛知県立名南工業高等学校定時制 伊藤健先生) 擬態語の多用。「ムカツク」など、怒気・攻撃的な言葉のトゲ。社会的に不景気になった上、弱肉強食の競争が浸透しはじめたころと重なるような気がします。(長野県松本県ヶ丘高等学校 岩原伸先生) 「情けは人のためならず」「気の置けない人」「過ぎたるは及ばざるがごとし」…主に授業中での取り上げた場面で、ほとんどの生徒が意味を逆にとりちがえる。表面的意味しか読み取らないのは、様々な文章にも言えること。氷山の一角なのでしょう。(千葉県立市川南高等学校 丑沢秀明先生) 「~へ行かなくて…」というような表現で、「~へ行かんくて…」と言う女の子の「~ンクテ…」という表現。ここ1、2年。(滋賀県立彦根西高等学校 大矢佐行先生) 家族内の人々(親、子供など)に対して、子供が親のことを「あの人」とか「うちの人」とか話すのをよく聞く。人間関係がドライになり、個人主義的考えが強くなっているのではないか。家族の結びつきが弱くなっているのを感じる。(奈良県立奈良高等学校通信制 木下隆先生) 人に同意を求めるときに、「どうよ」という言い方。女の子に多く見られる。「どうですか」では改まりすぎるし、「どうなの」では柔らかすぎて迫力がないし、「どうなんでぇ」では乱暴すぎると思うのか。中性的な表現なのだろうと思う。(茨城県立佐竹高等学校 栗原進先生) 携帯電話の絵文字を文中(手書きについて)に用いるケースの多用。年々増加している。授業中の表現活動でも広い範囲に用いられているようだ。原稿用紙以外の紙や、黒板に表現する際にも使われている。使用者側に「皆知っているもの」という認識が強いのではないだろうか。(栃木県立宇都宮清陵高等学校 齋藤亜希子先生) 「とき」と「こと」の使い方を混同している。「昔、その公園で遊んだときがある。」(遊んだこと)の誤り。平成9年から教員になったのですが、その時から気になっていました。季節を表す「とき」や、瞬間を表す「とき」が広がってしまったのではないかと思います。(室蘭大谷高等学校 斉藤正隆先生) 「いいかも」…これは自分の好みだ、正しい選択だ、ということを言い切らない。言葉への責任放棄か。日本人全体の傾向として、自分が明確な判断を下し責任を取ることを避けたがっているのではないか。自信喪失の表れであると考えています。(福島県立福島工業高等学校 髙橋洋子先生) 「やるんで…」「するんで…」という言いさしの言い方。曖昧な表現にしている。(藤沢翔陵高等学校 谷口浩平先生) 他人の発言に対して「ホントですか~」「マジ?」といった決まり文句的な発言が目立つ。同様に「ムカツク」「信じられない」等、発言の解答とするにはふさわしくない言葉をとりあえず吐く、という傾向が強い。最近に始まったことではないが、原因は語彙の不足であると思われる。相手の発言に対して、自らの中で適当な言葉がすぐに見つからず、また、言葉を正しく合成する能力(経験?)に乏しいため、とりあえず、という意味あいで上記のような言葉を使うのでは?(北海道えりも高等学校 田宮司先生) 生徒がよく使う「タメ」という言葉。その他「キャラ」など。人間関係について重要となる語を軽く使っている。(埼玉県立蓮田高等学校 東海枝一三先生) ひらがなとカタカナの混ぜ書き(特にメール語・マンガ語)。「おハヨー」など。少女マンガにも因を求められそうです。(長崎県立長崎工業高等学校 西史紀先生) 野球やサッカー選手がインタビューを受ける時、いちいちまず「そうですね」と前置きしてから答えるのは気になるなぁ。気付いたのは昨年。(大阪府立箕面東高等学校 西田和美先生) 「親に言ったから」(父や母と言うべき)。二言目には「おや」というのが耳障り。この3年ぐらい。核家族化と共働きで、正しい使い方をやりとりする機会を失しているから。(三重県立四日市四郷高等学校 野崎智裕先生) 「これ。」「プリント。」などと、文ではなく単語でのもの言いが多い。10年ほど以前から、生徒との話で目立つようになった。(山形県立山形工業高等学校 原田洋一先生) 同年代のみで通用する表現、言葉を他年代にも平気で使うことが、一番気になる。このことは、少年時代に同学年の人間のみとしか人間関係を作らなかった(あそばなかった)ことが最大の要因と思う。(千葉県立木更津高等学校 濱田尚文先生) 「俺」という場合、普通、「レ」にアクセントがつくものだが、小学生の男の子同士の会話では「オ」にアクセントがついている。全体的に正しいアクセント・イントネーションを使うのを恥じ、逆のイントネーションにするか平坦な発音をする傾向がある。「クラブ」では「ク」を弱く発音するなどもその一つであろう。わが息子を観察していて最近気づいた。家では普通に話している息子が、外で友達と遊んでいると急に違ったイントネーションで話し始める。新しい方言のようなもので、仲間言葉なのかもしれない。(神奈川県立横須賀高等学校 平敷和洋先生) 「ある種の…」の「の…」を略す。また、「そのま(ん)ま」と言うべきところを「まんま」と言う。生徒や若い教員の言葉づかいにどきっとさせられます。ここ数年のことです。出どころはTVメディアなのでしょうか?(関東学院高等学校 比留間元昭先生) 「雰囲気」の読みを「ふいんき」と答える高校生が増えた。数年前、高校に入学してきたばかりの生徒約300名を対象にしたテストの中で、「雰囲気」の読みを出題したところ、「ふいんき」と答えた生徒が4割以上いた。「フンイキ」と発音しづらいのだろうか。「ンイ」と「イン」では明らかに「イン」のほうが楽に発音できる。発音しづらいものは消えていくのだろうか?(京都府立海洋高等学校 水野法隆先生) 普段、高校生と接していて気になる言葉…「ピンクいシャツ」(ピンク色のシャツ)。やたらと「変な」という修飾語を使う(特に意味なし)。真面目な会話で「ぶっちゃけ」や「やばい」を連発する(TVの影響)。(山形県立新庄北高等学校 宮田健二先生) 話し言葉が一般に「単語・文節会話」であり、「文会話」となっていない為、慣用句が身に付かない。TV文化の繁栄。(長野県松本蟻ヶ崎高等学校 本島護先生) 「この○○好きくない?」という表現。特に「好きく」という語形や、「好きく」と「ない?」にみられる尻上がりのイントネーション。これが気になります。(滋賀県立日野高等学校 吉澤松美先生) 「ある意味」という言い方が気になる。「ある意味で」「ある意味においては」と言わず、「ある意味」だけを用い、用言・体言を修飾すること。「マンネリな毎日もある意味よいものだ。」「これもある意味迷惑メール。」。数年前から、雑誌やテレビで見聞きするようになった。流行語の類かと思っていたら、しだいに広まり、定着しつつあるようだ。助詞を省略して、伝達に要する時間を短くしようとするものか。語の与える印象としては、若者言葉の「ぶっちゃけ(正直に言えば)」に近い。(新潟県立三条商業高等学校 渡辺美由紀先生) すべて「意味がわからない」と否定し、相手を受け入れない。(神奈川県 A先生) 「たり」は一つの例を挙げて他を類推させる用法であれば、一度使うだけでよいが、二つ以上の例を列挙するのであれば、その都度「たり」を使うべきであるにもかかわらず、最近は、一つの例のみに「たり」を用い、二つ目の例には省略して用いないことが多い。ニュースでさえそのようになっていることから、かなり蔓延しているのではないか、あるいはほとんど市民権を得ており我々が小学校の頃にうるさく言われたことは既に滅びているのではないかと思われる程である。(岡山県 I先生) 「れる、られる」や「せる、させる」の使い分け誤用。また、携帯電話によるメールの普及に伴い、記号的な表現が増え、言葉に対する感覚は鈍化していること。「ら」抜き言葉の表現は、かなり以前から問題にされていたが、「させ」の例は最近の「マニュアル敬語」のような形式的な使い方の一つで出てきたのかも。(愛知県 O先生) 「歩っていける時」という言い方。(岩手県 K先生) 正しく使えない語が多い。最近の例→(TVで)「ばっさり茶髪にした」。意味のとり違えは、何しろ小さい時から文字に接する量が圧倒的に少なくなっていることが原因でしょうか。それは短絡的思考とも結びついているようです。(東京都 K先生) 「話しことば」と「書きことば」の混用があり、生徒との対話・作文指導などにおいて苦慮しています。辞書が使えるようになってほしいと思います。(長野県 T先生) 女性が「おれ」「お前」等、男言葉を使用。(奈良県 T先生) 絵文字の多用(作文でも)。携帯、TVの影響。(長野県 N先生) 「てゆーかさー」。全く話をしていなくても、この台詞でいきなり会話が始まる。雰囲気で会話をする(若者達)人達が多いのは、マンガの影響が大きいのではないだろうか。「あ゛」「う゛」といった表記でも。(山口県 F先生) 「先生、はさみ」。はさみを借りに来たときの表現を、文章として言えない。(群馬県 H先生) 「話」と書くべきところを「話し」と表記する。これは数年前からテレビなどのテロップでも使われており、大変違和感を感じる。おそらくワープロ変換の関係ではないかと思う。(長崎県 H先生) 作文中話し言葉を多用する。「なので→なんで」「やはり→やっぱり」「○○とか」など。話しことばと書きことばの使い分けがはっきりできない。書く経験の不足からくるものなのか、メールなどの多用からくるものか。(新潟県 M先生) なにかたのまれごとをした時に、「ムリ」と一言だけ答える。小学校2年生の息子も使うが、今の高校3年生まで広く使われている。あきらめの早さを感じる。その場の雰囲気や関係で使い分けているが、甘えの構造であろう。(東京都 M先生) 文章中の記号(ハート、上がり矢印、下がり矢印等)の多用化。携帯電話のメールが普及してから、文章中に「ハート」や「上がり矢印」等の記号を使用する生徒が増えたように思う。少女小説などの文体、あるいは雑誌の文体が話し言葉に近づいているのも原因のひとつかもしれない。(愛媛県 M先生) 「死ね!」「殺す!」「むかつく!」「うるせぇったい!」「わかったわかった」「きれる」「マジ殺す」「じじい!」「ばばあ!」「ぼかす!」等、拒絶や罵倒の言葉、感情に直接揺さぶりをかけようとする言葉が気軽に用いられている。ここ15年ぐらい。他人をかえりみない好悪を基準とした価値観を堂々と主張しだしたのと言葉が汚くなったのとセットで広がっている。(福岡県 M先生) 「プリントをゲットした」。カタカナ語の濫用。テレビの影響? 彼ら(高校生)も、用法の不適切さは心得ているようだが、正しい用法をどうしたらよいのか(どう使えばよいのか?)を知る手段が身近にない。(沖縄県 M先生」) 「怒るよ」の意味で「殺すよ?」と言っているのをよく耳にします。より刺激的な言葉を日常会話で使いたがる傾向があります。最後につけた「?」も疑問のときに使っている記号ですが、「殺すよ?」の場合のように疑問の意味ではなく、語尾を曖昧にすることで言った責任を濁しているような使い方にかわってきていると感じます。読んでいる本や見ているテレビ(バラエティ・アニメ)ではよく刺激的な表現をしているようです。見ていない子供が「殺すよ?」と言われたらそれはびっくりするでしょうが、見ている子供同士では共通語になっています。「?」は「的」や「~じゃないですか」と同じで自分のことを曖昧に伝えたがることと同じ傾向だろうと思っています。「殺すよ、いいの?」と相手に選択権を与えているのでしょうか。(東京都 Y先生) このほかにも、多くのご意見をいただきました。すべて『明鏡国語辞典』編集・改訂の貴重な資料とさせていただきます。ご協力くださった先生方、どうもありがとうございました。 |