WEB国語教室

リレー連載

ソーシャルメディアの社会学

第3回 ソーシャルメディアとジャーナリズムの関わり
八田真行インタビュー

「ソーシャルメディアの社会学」第3回では、ソーシャルメディアとジャーナリズムとの関わりを取り上げます。アラブの春から「アノニマス」まで、ソーシャルメディアの発達がジャーナリズムにもたらしたインパクトを、駿河台大学経済学部専任講師で、一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)の八田真行さんに語ってもらいました。

ソーシャルメディアがジャーナリズムにもたらした変化

――ソーシャルメディアがジャーナリズムと関わるようになっていろいろと変化があったと思いますが、八田さんは何が一番変わったと考えますか?

八田氏(以下八田):いくつか変わったポイントはあったと思います。一つは一般市民がジャーナリズムに匹敵するか、あるいはそれを上回る機動性を手に入れたことでしょう。「いま何が起きているか」ということが、専門の報道機関よりも速いスピードで、ソーシャルメディア上で報道されることが増えてきました。例えば昨年のアラブ地域やアフリカ地域での民衆蜂起、いわゆる「アラブの春」がよい例です。タハリール広場に集まっている人たち、まさにデモに参加している人たち自身がスマートフォンで今の模様を録画して、それをユーチューブなどの動画サイトに投稿しました。そしてその映像はツイッターなどのソーシャルメディアを通じて、急速に世界中に広がっていきました。個人的には、チュニジアの特派員であるとか従来のジャーナリズムの報道よりも、ソーシャルメディアで情報を知ることのほうが早かったように思います。

もう一つの変化は、ジャーナリズムと読者の関係が従来になく密接になり、情報の流れが一方通行から双方向になったことでしょう。ジャーナリズムとその読者の距離が縮まり、かつ読者の側からのアクションが取りやすくなりました。読者がジャーナリズムの報道に積極的にコメントを付け、あるいは自分たちで検証するという動きが出てきているということがあると思います。

ただここで注意する必要があるのは、今まで述べたような変化はソーシャルメディアだけによって引き起こされたものではないということです。この5年の間にモバイル通信や情報通信技術の発達など、様々な技術革新が起こりました。このような様々な要因が組み合わさって今の変化が起こっていると考えられます。

新しいジャーナリズムのかたち――データジャーナリズムとは

――新しいジャーナリズムの形として、データジャーナリズムという動きがあると聞きました。データジャーナリズムとは一体どのようなものなのでしょうか?

八田:従来型のジャーナリズムが、記者による取材対象への聞き取りやインタビューなどに重点を置いていたのに対し、数値データの収集とその分析に重点を置いたジャーナリズムをデータジャーナリズムと呼んでいます。これと似たような報道の手法は昔からありました。しかし今までのジャーナリズムが定性的な分析に立脚していたのに対し、データジャーナリズムは定量的な分析、つまり物事を数値から判断・分析していくという方法に立脚しています。

ここでデータジャーナリズムの例を見てみましょう。2011年に大相撲の八百長問題が発覚しました。日本相撲協会は「過去には一切なかった問題で、新たに出た問題」と発表しました。しかし統計的な分析から「八百長は昔からあった」としか考えられない、という結論を導き出した経済学の論文があります。アメリカン・エコノミック・レビューに掲載された「Winning Isn't Everything: Corruption in Sumo Wrestling(勝つことがすべてではない:大相撲における不正行為)」[1]という論文です。この内容は、この論文の共著者であるスティーヴン・D・レヴィット教授が書いた『ヤバい経済学』(東洋経済新報社)で、日本語で読むこともできます。この論文の中でレヴィット教授は1989年から2000年までの十両以上の取組について調査を行い、千秋楽を7勝7敗で迎えた力士の勝率が75%を超えることをデータから突き止めました。勝ち越しを決めるために力士が必死になって勝率があがった、と説明することもできなくはありませんが、しかし75%という数字は普通ではありません。

大相撲での八百長は既存のジャーナリズムはなかなか記事にできませんでした。うすうすは勘付いていたかもしれませんが、きちんとした形で記事にすることは、様々なしがらみなどもあり非常に難しかったと思われます。ところが海外ではデータ分析の結果として、八百長がありえないとは考えられない、という結果が出てきたわけです。このような結果は当事者への取材だけでは得ることはできません。

客観的なデータを処理することで見えてくる事実を浮き彫りにするのがデータジャーナリズムの特徴です。インターネットが普及したことで、データの蓄積や受け渡しが簡単にできるようになりました。またコンピュータ科学の進歩により、一度にたくさんのデータを処理し、そこから分析を行うことも可能になりました。コンピュータの発達、そして情報化社会が進んで様々なデータを入手可能になったこと、加えて我々の社会そのものが情報化されたことによって、データジャーナリズムの可能性が広がったということができます。

そしてデータジャーナリズムにおいて可視化は重要な要素です。先ほど申し上げた通り、データの分析は何十年も前から行われています。しかしその大量のデータが持つ意味を素人にもわかりやすいような形で提示することができるようになってきたのは最近のことです。これはデータ処理技術だけでなく、データをビジュアライズするウェブの技術、そしてブロードバンド回線が整ったことによって実現されました。

ここでデータジャーナリズムにおける可視化の例をいくつか見てみましょう。

イギリスのデータジャーナリスト、デヴィッド・マッキャンドレスが作成した「ビリオンダラーグラム」では、メディアが伝える「何億ドル」という様々な金額、例えば国家予算や戦争にかかった費用、企業の売上や利益などを相対化し、可視化することで、そのお金がどれくらいのスケールなのかを俯瞰することができます。彼がこの「ビリオンダラーグラム」について語っている動画は日本語字幕付きで見ることができます[2]

またイギリスのオープン・ナレッジ・ファウンデーションが開発した「Where Does My Money Go?」では、イギリス国民の払った税金がどのように使われているかを見ることができます。日本にも同様の動きがあり、この「Where Does My Money Go?」の横浜市の市税版が開発されました[3]。このプロジェクトは研究者やエンジニアだけでなく、コンサルタントや行政職員、そして地方議員が互いに協力しあって実現したものです。

またマスコミの世界でもデータジャーナリズムは注目されています。イギリスの新聞ガーディアンは、ウェブサイト上の「DATABLOG」というコーナーで、様々なデータを可視化した結果を公開しています。

アノニマスとデータジャーナリズム

――最近日本の政府機関や政党のウェブサイトをサイバー攻撃したことで一躍有名になったハッカー集団「アノニマス」も、データジャーナリズムに関わっているという話を聞きました。

八田:もともとアノニマス(Anonymous)というのは、英語で匿名という意味で、インターネットを基盤にして活動する人々の総称としても使われます。最近では匿名で官庁などのウェブサイトを攻撃する人たちのことを指しますが、それからさらに一歩広がって、匿名性を活かしてデータの分析、例えば不正告発などの情報を分析し、ジャーナリストのようなことをやっているアノニマスたちもいます。その一例が彼らの運営しているウェブサイト「アノニマス・アナリティクス」です。内部告発を基にしたウェブサイトとしては尖閣ビデオ流出の際に日本でも話題になったウィキリークスがありますが、創始者のジュリアン・アサンジが2010年12月に逮捕されてから、ウィキリークスはほとんど機能していません。彼らはそのウィキリークスの残した空白を「アノニマス・アナリティクス」という形で埋めようとしているのだと思います。ウィキリークスは基本的に政治的な問題に主眼を置いていましたが、アノニマス・アナリティクスは企業の経済活動に積極的に目を向けているところが大きな違いだと考えられます。

――なぜアノニマスがそのようなことを行うようになったんでしょうか?

八田:高度情報化社会が進むにつれ、情報の技術が我々の生活の隅々にまで浸透してきています。我々の生活は、ある意味で情報技術によって規定されるようになってきました。そのため、情報技術に関して詳しい知識を持っている人間は、今まで以上に社会に直接的な影響を与えることができるようになっています。その結果として、情報技術に詳しい集団が匿名のまま社会活動を行うようになってきました。このことを「ハクティビズム(Hacktivism)」と呼びます。

ハクティビズムというのは、ハック(Hack)とアクティビズム(Activism)の合成語です。ハックとは、コンピュータに侵入したり、コンピュータウイルスをばらまいたりすることだと勘違いされていますが、本来はそのような意味ではなく、情報技術を駆使することを指します。コンピュータに侵入したり、コンピュータウイルスをばらまいたりすることには「クラック(Crack)」という言葉を用います。そしてアクティビズムというのは行動によって社会を変えるということです。

ハクティビズムとはつまり、情報技術を駆使することによって社会に変革を与えていこうという動きであり、そのハクティビズムを実践している集団の一つがアノニマスである、ということです。

データジャーナリズムのこれから――我々が身につけるべき能力とは何か

――これからデータジャーナリズムが広まっていく上では、どのようなことが重要でしょうか?

八田:これにはおそらく二つの方向が考えられます。まずデータが充実することです。政府は多くのデータを持っています。そしてそれは原理的には国民のものですが、それほどきちんと公開されていないものもあります。また公開されているとしても、それがコンピュータでの操作、分析に適さない形で公開されている場合もあります。例えば政府からデータが公開されたとしても、紙やPDFという形式で公開されるのは望ましくありません。紙やPDFはそのままではコンピュータは解釈できないからです。Microsoft Excelのような表計算ソフトウェアの形式は、紙やPDFよりはマシですが、プログラムでデータを解析するのには向いていません。大量のデータを効率良くプログラムで処理するには、データがcsvやtsvと呼ばれるテキストデータで提供されることが必要です。ですから私たちは政府に対して、コンピュータでの分析に適した形式でのデータの公開を求めていかなければなりません。データが公開されることで、専門家だけでなく、一般市民もデータジャーナリズムに携わることができる可能性が出てきます。これが一つ重要なことですね。

そしてもう一つは、ジャーナリズムの送り手と受け手の両方が数値分析のセンスを身につけねばならないということです。データは嘘をつくとよく言われますし、統計も嘘をつくと言われます。現代ではソーシャルメディアを使ってニュースを受け取ることが多く、センセーショナルなデータがひとり歩きすることがあります。そのときにそのデータや統計が本当に表していることを、送り手も受け手も冷静に分析できる必要があります。またゴミのようなデータや質の悪いデータをいくら分析しても、質のいい分析は出てきません。ですからジャーナリズムの送り手も受け手もデータ分析へのセンスが必要になってくるでしょう。そのためには今までは必要とされなかった能力がジャーナリストに要求されるかもしれません。

――データジャーナリズムを学ぶためにはどうすればよいでしょうか?

八田:先ほど申し上げたように、データジャーナリズムではデータの定量的な分析を行うことになりますので、統計学的な素養を身につけることが必要です。今までジャーナリズムは、いわゆる文系の職業として捉えられていました。もちろん文章を書く能力は重要ですが、それに加えてコンピュータを使って適切に分析を行う能力が必要です。データジャーナリズムに取り組むには、表計算やプログラミングの技術を用いてデータを処理する技術が重要になってくるでしょう。さらに数量的な分析を行う能力、例えば数字の羅列から傾向や周期、規則性などを見つけだす技術が必要となります。ただ、当然ながら従来のジャーナリズム教育が全く役に立たなくなるわけではなく、文章を書く能力は従来通り必要となってくるでしょう。

取材・構成:香月 啓佑(一般社団法人インターネットユーザー協会[MIAU]事務局長)

著者プロフィール

八田 真行(はった まさゆき)

経営学者。ハッカー。翻訳家。コラムニスト。1979年東京生まれ。東京大学経済学部卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。一般財団法人知的財産研究所特別研究員を経て、2011年4月より駿河台大学経済学部専任講師。専攻は経営組織論、経営情報論。ハッカー文化にも造詣が深い。Debian公式開発者、GNUプロジェクトメンバー、一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)発起人・幹事会員。主な著書に『日本人が知らないウィキリークス(共著)』(洋泉社)、『ソフトウェアの匠(共著)』(日経BP社)、訳書に『海賊のジレンマ』(フィルムアート社)がある。

《注》

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