漢字Q&A(その1)

Q0001 漢字はいつごろからあるのですか?
 通常、漢字の祖先をさかのぼっていくと、紀元前1300年ごろから使われ始めた甲骨文字にたどりつく、とされています。この文字は、当時、占いに使用されていた亀の甲羅や獣の骨などに、その内容を記録するために刻みつけるときに使用されていました。
 ですから、漢字がこのころからあったことは確かなのですが、それ以前にはなかったのかというと、確実なことはわかりません。実際、甲骨文字は文字としてはかなり発達した段階にあることから、それに先立つ文字の存在を予想する学者も多いようです。
 中国では、現在でもときどき、地面の下からとんでもないものが出てきて、世の中をあっと驚かせることがあります。甲骨文字の発見も、もとは漢方薬の材料として売られていた「竜の骨」に、ある学者が注目したことがきっかけでした。甲骨文字よりもさらに古い漢字が、いまもどこかで、発見されるのを待っているのかもしれませんね。

Q0002 漢字はだれが作ったのですか?
 現在のところ、漢字をだれか個人の発明によるものとする説は、あまり一般的ではありません。しかし、伝説の上では、蒼頡(そうけつ)という賢者が漢字を発明したことになっています。
 蒼頡はいくつかの文献に登場しますが、それらによると、鳥や獣の足跡を見て、それを残したのがどんな鳥や獣であるかを区別できることに気づいたことから、漢字を発明するに至ったとされています。そして彼が漢字を発明したとき、天から穀物が降ってきたり、夜中に幽霊が泣く声がするなどの天変地異がおこったと伝えられています。
 図は、絵に描かれた蒼頡ですが、目が4つあって、とても人間とは思えない姿に描かれています。もちろん、伝説上の人物のことですから、だれも見たことはないはずです。しかしこの図を見ると、漢字を生んだ中国の人々にとっても、漢字というものが神秘的な存在であったことがうかがわれます。
 余談ですが、『大漢和辞典』に収録された5万もの漢字の活字をデザインした石井茂吉(いしいもきち)氏(写真植字研究所社長)に、著者の諸橋轍次(もろはしてつじ)博士が贈った書に、「蒼頡、字を製するや、天為(ため)に粟(ぞく)を雨(ふ)らし、鬼為(ため)に夜哭(こく)し、竜乃(すなわ)ち潜蔵(せんぞう)す」というものがあるそうです。諸橋博士は石井氏を、まさに現代の蒼頡とお考えになっていたのでしょう。

Q0003 漢字はいったいいくつあるのですか?
 以前は、「『大漢和辞典』には、この世のありとあらゆる漢字が収められていて、その数は約5万である」というのが、漢字の世界では、一般常識とされていました。ところが残念なことに、現在ではいかに小社の漢和辞典編集部といえども、「漢字の総数は約5万」とは言えなくなってきています。
 その理由の1つは、『大漢和辞典』をしのぐ規模の漢字の辞典が、中国で相次いで編纂されたことです。中でも1994年に出版された『中華字海』という辞典は、約8万5000という収録漢字数を誇り、写真のように、表紙をめくるとまず「当今世界収漢字最多的字典」という赤い文字が目に飛び込んでくる、というシロモノです。まったく、どういうデザインセンスなんでしょうね……。
 また日本でも、コンピュータの世界で「多漢字」を誇るソフトが現れてきています。たとえば「今昔文字鏡」では17万字の漢字が使用可能ですし、「超漢字4」に至っては、その数18万と豪語しています。
 では「漢字の総数は約18万」と言い直せばよいか、というと、問題はそんなに簡単ではないのです。
 漢字の中には、「島」に対する「嶋」のように、意味も音読みも同じなのに字体だけが違う異体字と呼ばれるものがあります。現在のように活字による印刷物が普及する以前には、この異体字がたいへん多く用いられていました。それらの中には、わたしたちが通常目にする漢字とは微妙に違うだけのものも数多く含まれています。お近くの神社などに古い石碑があれば、そこに刻まれた漢字をじっくり眺めてみてください。きっと、異体字の1つや2つは見つかるはずです。
 以前はこういった異体字の多くは、正式の漢字としては認められていませんでした。しかし、最近では、異体字研究にもスポットがあたるようになり、正式の漢字として扱われることが多くなってきています。
 というわけで、こういった異体字も1字としてカウントしていくとなると、少なくとも中国・韓国・日本のありとあらゆる漢字文献を精査せねばならず、現実的には不可能といえます。そこで、漢字の総数というのは、まさに天文学的数字、予測不能とお答えするしかありません。

Q0004 漢字はいつごろ日本に伝わったのですか?
 日本の古代の遺跡からは、漢字が刻印された中国の貨幣が発見されることがあります。それらのうち最も古いものは、紀元前1世紀ころに造られた貨幣です。ここから考えますと、日本列島に住んでいた人たちが初めて漢字を目にしたのは、貨幣が中国から渡来してくるのにかかる時間を考慮にいれて、遅くとも紀元後1世紀ごろであろうと思われます。
 しかし、その漢字を目にした人たちが、それを文字だと認識していたかどうかについては、また別の問題です。わたしたちがたとえばアラビア文字を見るときのように、おそらく当時の人々にも、漢字は模様のようにしか映らなかったのではないでしょうか。
 では、日本列島に住んでいた人たちは、いつごろから漢字を文字として理解し始めたのでしょうか。詳しいことはわかりませんが、確実なのはやはり邪馬台国(やまたいこく)の時代、紀元3世紀ごろです。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』で有名なように、このころには、日本と中国との間に使節の往来があったことは確かです。外交文書を扱うことができなければ、使節としては体を成しません。おそらく邪馬台国やそれに先立つ国々には、漢字を理解し、文書を扱うことのできる人々がいたに違いないと考えられています。
 なお、日本の中での漢字の歴史を解説した書籍に、小社刊・小林芳規著『図説 日本の漢字』があります。

Q0005 日本語を漢字で書き表すようになったのはいつごろですか?
 埼玉県の稲荷山(いなりやま)古墳出土の鉄剣、と聞けば、受験勉強を思い出す方も多いことでしょう。日本史の教科書には必ず出てくるこの鉄剣は、5世紀ごろのものだと考えられていますが、これには115字の漢字から成る文章が刻まれていて、その中には固有名詞も含まれています。
 このように日本の固有名詞を漢字で表記しているのは、日本語を漢字で書き表すようになった最初期の段階であると考えられます。日本語の文章そのものは、漢文(中国語)に翻訳して書き残すことも可能ですが、その中に出てくる固有名詞は、翻訳のしようがないからです。
 では、そのような段階を越えて、日本語の文章そのものを漢字を使って書き表すようになったのは、いつごろのことなのでしょうか?
 漢文(中国語)と日本語の文章とは語順が違いますから、漢字ばかりで書き表された文章でも、日本語の語順にしたがって書かれていれば、日本語を表記したものだと考えることができます。この観点から検討すると、日本語の文章全体が漢字で書き表されたといえる例は、7世紀ごろから現れるようです。
 なお、日本の中での漢字の歴史を解説した書籍に、小社刊・小林芳規著『図説 日本の漢字』があります。

Q0006 いったいどれくらいの数の漢字を知っていると、日常生活では十分だといえるのでしょうか?
 世の中で実際に使われている漢字の種類というのは、実はかなり膨大なものがあります。文化庁国語課が2000年に公表した「漢字出現頻度数調査」によりますと、調査対象となった、凸版印刷が組版した書籍385冊に出現する漢字の総数は、のべ3330万1934。種類別に分けると、実に8474種類の漢字が使われています。これによれば、この調査対象の書籍を全部読めるようになるためには8474もの漢字を知っておかなくてはならないことになるわけです。
 しかし、あきらめないでください。この8474字のうち、上位2457字だけでのべ数の99%になるのです。つまりこの2457字を知っていれば、統計上からすると調査対象の書籍に出てくる漢字の99%を理解できることになるのです。99%では不安とおっしゃる方は、上位4208字まで勉強しましょう。そうすればのべ数の99.9%を理解できることになります。
 4200字はきついですか? そういう人には別のデータがあります。同じ調査によれば、なんとわずか2602字(!)を知っているだけで、『読売新聞』2か月分に出現する漢字の99.9%を知っていることになるというのです。それでも2600字!
 これらの調査には、非常に特殊な固有名詞や、学術用語なども含まれています。そのあたりを勘案すると、2500字くらい知っていれば新聞を読むには十分、さまざまな書籍を読もうと思うと3500字くらいあれば、ということになるでしょうか。逆に、新聞を読むのにあまり苦労していない人は、2500字くらいは知っている、ともいえるかもしれません。そう考えると、少しは気が楽になるでしょうか。

Q0007 漢字にはなぜ音読みと訓読みがあるのですか?
 漢字はもともと中国語を書き表すために考案された文字ですから、中国語の発音しか持っていませんでした。漢字が元来持っていた中国語の発音を、日本人なりに聞き取って発音してみたのが、音読みです。中国語の「歩」は、日本人には「ホ」とか「ブ」とか聞こえたのでしょう。英語でたとえれば、walkという単語を「ウォーク」とカタカナそのままで発音するのと同じです。
 ただし、中国語の発音は、時代や地域によって差があります。そこで、日本語としての漢字の音読みにも、いくらかの差が出てくることになりました。
呉音漢音唐音などといって分類されているのは、この差に基づいているのです。
 日本人が漢字を自分たちのことばを書き表す文字として用いようとすると、中国語の発音だけでは不便です。そこで、1つ1つの漢字に訳をつける必要が生じます。walkを「あるく」と訳すのと同じように、「歩」に「あるく」という訳をつけたわけです。こうして生じたのが訓読みです。訓読みは訳ですから、1つの漢字に対して1つとは限りません。「あるく」ではなく「あゆむ」という訳をつける人もいたわけで、基本的には訓読みは多種多様になる傾向があります。

Q0008 「所謂」はどうして「いわゆる」と読むのですか?
 「所謂」という熟語は、漢文風に訓読すると「謂(い)う所の」と読むことができます。「謂う」は「言う」と同じ意味だと考えてかまいません。「所」の方は、すこし耳慣れない使い方です。
 年配の方であれば、英語の関係代名詞を習ったとき、「~するところの」という訳し方を教え込まれたご経験がおありではないでしょうか。わかったようなわからないような気にさせられるあの訳し方、その「ところ」とこの「所」は同じなのです。つまり「所謂A」は、漢文訓読では「謂う所のA」、英語ではたとえば"what he calls A"、現代日本語で言えば、たとえば「みんなが言っているA」と表現できるのです。
 このような働きをする日本語としては、「いわゆる」ということばがあります。そこで昔の日本人は、「所謂」を「謂う所の」と訓読する代わりに、一気に「いわゆる」と読んでしまうことにしたのです。こういうふうに、2字以上の漢字から成る語を、1語の日本語として読んでしまうことを、熟字訓(じゅくじくん)といいます。

Q0009 「々」はなんと読むのですか?
 この字は、実は「字」ではありません。アルファベットのような表音文字であれ、漢字のような表意文字であれ、「字」であるためには、少なくともある一定の「音」を表している必要があります。しかし、この「々」の場合、「人々」と書けば「びと」、「品々」と書けば「じな」という具合に、その読み方は千変万化、トランプのジョーカーのような役割を果たしています。
 ではこれは何かというと、強いていえば「記号」でしょう。そこで、JIS漢字の世界などでは、これを「繰り返し記号」と呼んでいます。また、「々」は「仝」(「同」の異体字)の草書体から生まれてきたとされるところから、「ドウの字点」と呼ばれたり、漢字の「二」から生まれてきたとされるところから「ニの字点」と呼ばれたり、直前の文字を繰り返すことから「おどり字」と呼ばれたりしています。
 ところで、小社の漢和辞典(たとえば鎌田正・米山寅太郎著『新漢語林』)を引くと、「丿」の部首のところに「々」がちゃんと出ています。「々」は字ではないのですから、漢和辞典に収録するのはおかしいといえばおかしいのですが、読者のみなさまからこの「記号」に関するご質問も多いので載せている、という次第です。

Q0010 「木」を3つ組み合わせると「森」になりますが、同様に「金」を3つ組み合わせた漢字があるそうですが、なんと読むのですか?
 「金」3つを三角形になるように組み合わせた漢字は、音読みでキンと読みます。『大漢和辞典』によれば、意味は「金がふえる」。なんとも現金な字ですが、また「人名や屋号に用いる」ともあります。こんな名前を付けられた日には、親を一生恨んでしまいそうですが、お店の名前としては、その切実な願いは理解できそうです。
 写真は、シンガポールのインド人街で見かけた宝石店の看板。なんと、この字の前後にさらに「金」の字を1つずつ配した念の入った店名! 日本語で読むとすれば、キンキンキンソウとでも発音すればいいのでしょうか? インド商人の商魂たるや、あなどるべからず、です。
 ちなみに、「金」が4つから成る漢字も存在して、音読みはホウ、ギョク。意味は「もっと金がもうかる」かと思いきや、『大漢和辞典』では「義未詳」(意味は不明)となっています。商魂たくましいアラビア商人あたりが、どこかで使っていそうな気もしますが……。

Q0011 中華料理屋さんの飾りなどで見かける、「喜」を2つ並べたような漢字は、どういう意味の漢字ですか?
 写真のような感じで使われている飾りですね。これは厳密に言うと漢字ではなく、マークの一種だと考えるべきだと思います。見て分かるとおり、「喜」という漢字を2つ並べることで、二重のおめでた、重ね重ねの喜びごとを表す、縁起の良いマークです。
 中国では、結婚祝いの席などで使われるそうで、そういえば日本でも、結婚式の箸袋などには「寿」を図案化したものがよく描かれていますから、それと似ているとも言えそうです。ちなみにこのマークの名前は「双喜」、中国語音で「シュアンシー」、日本語音で「ソウキ」と言います。
 実は、小社の小型漢和辞典(たとえば鎌田正・米山寅太郎著『新漢語林』)には、「口」の部首にこのマークが収録されています。『大漢和辞典』には収録されていないこのマークが、いつ、なにゆえに小社の小型漢和辞典に収録されるに至ったのかは、ちょっとしたミステリーです。

Q0012 「希望」という熟語は、訓読みすると「まれなのぞみ」となってしまって、ニュアンスが違うような気がするのですが、それでいいのでしょうか?
 「希」という漢字には、ご指摘の「まれ」という意味がないわけではないのですが、「のぞみ」という意味もあります。「希望」の場合はこちらの意味で、この熟語は似たような意味の漢字が2字組み合わさってできた熟語です。
 「まれ」という意味を表す場合、昔は「稀代」「稀少」「稀薄」のように、「稀」という漢字の方を用いることが一般的でした。こちらの字には「のぞみ」という意味はないので、「希」と「稀」を使い分けることで、意味がまぎれることが少なくなります。しかし、第2次世界大戦後の国語改革で、「稀」は当用漢字から外れてしまったので、「希」の字で代用することが多くなりました。そのために熟語の意味がわかりにくくなってしまった例の1つだと言えるでしょう。

Q0013 「重複」という熟語は、「ジュウフク」と読むのと、「チョウフク」と読むのと、どちらが正しいのでしょうか?
 「重」という漢字には「ジュウ」と「チョウ」の2つの音読みがあります。この2つは、「チョウ」が漢音という比較的新しい読み方、「ジュウ」が呉音という比較的古い読み方という関係になっていて、意味上の使い分けではありません。そこで、「重複」という熟語をどちらの音読みで読むかは、意味から来る問題ではなく、純粋に慣用上の問題ということになります。
 第2次世界大戦より前の代表的な国語辞典『大言海(だいげんかい)』を見ますと、「チョウフク」はあっても「ジュウフク」はありませんから、慣用的には「チョウフク」が正しいと言えそうです。ただし、これはあくまで慣用上の問題です。「重」は熟語では「ジュウ」と読むことの方が多いので、最近では「ジュウフク」の方が一般的になってきているようです。現に、昨今の辞書を調べると、「ジュウフク」「チョウフク」両方とも可としているものが圧倒的です。

Q0014 「相殺」という熟語を「ソウサツ」と読む人がときどきいますが、これも正しいといえるのでしょうか?
 「殺」という漢字には、大きく分けて2つの意味があります。1つは「ころす」という意味、もう1つは、「そぐ・へらす」という意味です。この2つは、もともと古代中国語での発音が違い、そのため、日本の音読みでも「ころす」の場合は「サツ」、「そぐ・へらす」の場合は「サイ」と読み分けてきました。
 「相殺」という熟語では、「殺」という漢字は「そぐ・へらす」という意味で使われていますから、「ソウサイ」と読むのが正しい読み方です。時代劇かなにかで、侍が決闘して相討ちになった、なんていう場合には「ソウサツ」と読むこともあり得ないではないですが、通常は「ソウサツ」は間違いだ、といえるでしょう。

Q0015 ある建物の看板で「番」の一番上の「ノ」がない漢字を見かけたのですが、なんと読むのですか?
 この漢字、いかにも“看板に書かれた「番」の字の「ノ」の部分が、台風かなにかで吹き飛ばされてしまったのだろう”というような形をしています。しかし、書道関係の字典を調べてみますと、「唐のころ(7~9世紀)の書家の作品から」として、この字が出ています。そういう由緒正しい漢字なのであれば、と思い、翻って『大漢和辞典』を調べてみると、やはり、ちゃんと出ているのです。読み方や意味は「番」と全く同じで、「番」の異体字ということになります。
 ついでにこの漢字の古い字形を調べてみると、金文では図のような形をしています。これを見ると、意外と「ノ」がない形の方が由緒正しい字形なのかもしれません。
 もっとも、ご質問の場合、建物の看板でご覧になったというのですから、やはり台風のせいではないかという気がしてならないのですが……。

Q0016 東京の地下鉄「こうじまち」駅には、「こうじ」という漢字に2種類の字が使われているみたいですが、どちらが正しいのですか?
 確かに営団地下鉄有楽町線の「こうじまち」駅には、写真のように2種類の「こうじ」という漢字が仲良く同居していて、異体字マニアの間では有名なスポットになっています。
 この「こうじ」という字、もともとは写真左下に拡大して示した2つのうち、左側の漢字の方が正字体です。右側の「麹」の方は、「麥(むぎ)」という漢字が第2次世界大戦後の国語改革で「麦」になったのにならって、JIS規格で採用された、いわゆる「JIS字体」です。ですから、どちらが正しいかといえば、おそらく左側の字の方が正しい、ということになるでしょう。
 JIS規格でこういう簡略化された字形が採用されたことに対しては、反発も多く、漢和辞典の世界でも、JIS規格制定後も、正字は左側の字体としてきました。その後、2000年になって国語審議会が答申した「表外漢字字体表」でも、左側が「印刷標準字体」とされたことを受けて、2004年には、JIS規格も改定されました。今後、パソコンの世界でも左側の字体が採用されていくことと思われます。
 それはともあれ、こういう珍しい“異体字スポット”は、末永く保存していただきたいものです。

Q0017 「普」という漢字について、旧字体を載せている漢和辞典と、載せていない漢和辞典とがあるようですが、どうしてですか?
 旧字体とは、当用漢字制定以前に標準的な字体として使われていた字体を指すのですが、実際に当時使われていた漢字を具体的に調べてみると、2種類以上の字体が使われていた例も少なくありません。
 この「普」という字もその例です。この字は、中国で18世紀の初めに作られ、長く字体の規範とされてきた『康熙字典』では、私たちのよく知っている「普」になっています。ところが、たとえば戦前に出版された代表的な国語辞典『大言海(だいげんかい)』(冨山房)では、図のような字体が、一貫して用いられているのです。ここからすると、当用漢字制定以前には、「普」も両方使われていたと考えるべきでしょう。
 そこで、当時、この両者のうちどちらが標準的な字体であったかは、漢和辞典編集者の判断によって変わってくるということになります。ちなみに、小社の漢和辞典では、「普」が標準的であったと見なして、当用漢字制定以前と以後で字体は変化していないと判断しています。その理由は、この字はもともと「並」と「日」とから成り立ってますが、「並」の旧字体は「竝」ですから、「普」を図のように書くのは、字源からするとあまり説得力がないからです。

Q0018 「衷」の上半分は、「亠」+「中」と書くのが正しいのですか、それとも「十」+「口」と書くのが正しいのですか?
 この字は「まごころ」という意味の漢字で、「衷心」(チュウシン=心から)などの熟語に使われています。しかし、字源的には「衣」と「中」とから成り、中に着る衣ということで、もともとの意味は「肌着」。体に一番近い衣服というイメージから、「まごころ」の意味に転化していったものと考えられています。ここから考えますと、「亠」+「中」と書くのが正しいと思われます。
 この字のように、「衣」という漢字が他の漢字と組み合わさって新しい漢字になる場合、上下に2分割されてその間に他の漢字を挟み込むことがときどきあります。たとえば「裏」は「衣」+「里」、「褒」(ほめる)は、「衣」+「保」、といった具合です。もともと「衣」は、衣服の襟元の象形文字。そう考えるとこれらの漢字は、いかにも「衣」がその中に他の漢字を包み込んでいる感じがして、うまくできた漢字だという気がしませんか?

Q0019 「文」の4画め(左上から右下へ払う画)の最初に、何か飾りのようなものが付いていることがありますが、あれはなんですか?
 「あれ」とは、図の赤い部分のことですね。これは、活字のデザインに基づく「飾り」のようなものです。もともとは明朝体独特のデザインなのですが、ゴシック体でも見かけることがあります。「文」の他にも、「史」「父」「便」などに現れます。これは「飾り」のようなものですから、もちろん画数には数えません。
 これはもともとは、筆で書く場合の筆の勢いを、活字に移したもののだと言われています。昔の活字には多く見られますが、最近では、手書きとの違いが嫌われて、減少の方向にあるようです。
 漢和辞典の中には、これのあるなしを、新字体旧字体の違いとしているものも見られますが、画数に影響するわけでもありませんし、字源的になにか意味があるわけでもありませんから、やはり単なるデザイン上の違いと見ておくほうが妥当でしょう。
 このように、明朝体活字には、手書きの字体とは違ったデザイン上の特色がいくつかあります。この「飾り」のようなものもその1つですし、たとえば同じ「文」で、図の青い部分のように、横棒の最後が三角形になっているのも、その1つです(これは、「ウロコ」と呼ばれています)。
 ちなみに、「あれ」の名前ですが、『常用漢字表』の前書きでは、前述の「ウロコ」と一緒にして「筆押さえ」と呼ばれていますが、印刷・出版業界では、「ヒゲ」とか「ツメ」とか呼ばれています。
 ある編集者がこの「ツメ」を嫌って、これが付いている漢字1つ1つ全部に「ツメトル」と赤字を入れて校正刷りを戻したところ、印刷所では校正記号の「トルツメ」(その文字を削除すること)だと勘違いして、赤字の入った漢字を全部削除してしまった、なんていう笑い話があります。

Q0020 「サイトウ」さんや「サイキ」さんの「サイ」という字には、「斉」「斎」「齊」「齋」などいろいろな字がありますが、漢字としてはどう違うのですか?
 ここに挙がった4つの漢字は、明確に2つのグループに分けられます。「斉」と「齊」は、音読みはセイ、訓読みすれば「ととのう」とか「ひとしい」とか読む漢字で、前者が新字体、後者は旧字体という関係にあります。それに対して、「斎」と「齋」もやはり前者が新字体、後者は旧字体という関係になるのですが、こちらの音読みはサイ、訓読みすれば「ものいみ」で、神仏を祭るときに体を浄めることを表す漢字です。
 このように、この2つのグループの漢字は、もともと読みも意味も別なのですが、「斉」「齊」をサイと読んで「ものいみ」の意味に用いることは、古くからある用法のようです。おそらく「斎」「齋」の略字のような使われ方をしたのではないでしょうか。そこで「サイトウ」さんや「サイキ」さんの「サイ」にもこれらの字が使われるようになったわけです。
 この2つのグループの漢字が全く別の字であることを意識していない人は多いようで、小社刊・紀田順一郎編『『大漢和辞典』を読む』には、女優の斉藤由貴さんがデビュー当時、よく「斎藤」と間違えられた、という話が載っています。事務所ではそのたびに「由貴ちゃんは斉藤です」と抗議していたそうですが、“「斉」と「斎」は間違えやすいので、全部「斎」に統一しています”なんていうとんでもないところもあったようで、事務所の方のご苦労がしのばれます。

Q0021 「思」の部首は、「こころ」ですか「したごころ」ですか?
 部首の名前について、公式に定められたものはありません。そこで慣用的に用いられてきた名前で呼ぶことになります。「心」部の場合、「こころ」と「したごころ」という2つの名称が一般的です。ここの2つを並べてみると、漢字の下半分にあるのを「したごころ」、そうでないのを「こころ」、と呼び分けているのではないかと予想されます。もしそうだとすると、“「恋」には「したごころ」があるが「愛」には「したごころ」はない”なんて、どこかのおじさんが飲み屋のママさん相手に雑学を披露するのにも都合がよさそうですね。
 ところが残念なことに、実際には多くの漢和辞典では、特に「恭」「慕」などに見られる、図の赤い部分だけを指して「したごころ」と呼んでいるようです。したがって、学校の試験や漢字検定などでは、「思」の部首の名前は「こころ」である、としておくのが無難でしょう。

Q0022 「品」の部首は「口」ですが、3つあるうちのどの「口」なのでしょうか?
 結論から言いますと、どれでもかまいません。もともと部首というものは、その漢字の一部分を指すものではなく、漢字の辞典において漢字を分類するためのグループ名なのです。「品」の部首が「口」である、というのは、「品」という字は「口」というグループに分類されている、ということであるわけです。
 このことをわかりやすく言えば、学校である生徒が何年何組に属しているか、ということにたとえることができるでしょう。ある生徒=ある漢字、クラス名=部首、というわけです。その生徒の一部分としてクラス名が存在しているわけではありませんよね。というわけで、「品」の部首はどの「口」か、というのは、あまり意味のない問いかけということになります。

Q0023 ある漢和辞典で「腹」を引こうとしたら、「月」部の中には見つからなかったのですが、どこに出ているのでしょうか?
 「腹」「肺」「肝」「臓」など、体に関係する漢字には、「月」という構成要素を持っているものが数多くあります。この「月」は、十五夜のお月様とは全く関係がなく、もともとは「肉」という字が変形してできたものだと言われています。
 そこで漢字の世界では、古くから「肉」に由来する「月」のことを「にくづき」と呼んで、そうでない「月」と区別してきました。そして「にくづき」を含む漢字は、「肉」の部首の中に分類するというのが、一般的だったのです。ですから、「にくづき」の漢字を「月」部の中に見つけることができなかったら、「肉」部を探してみると、きっとみつかることと思います。
 しかし、意味がわからない漢字を引くための辞典なのに、「体に関する文字だ」ということを知らなければ利用できないというのは、考えてみれば不便な話です。最近では、さすがにこれに気付いたのか、「にくづき」の漢字も「月」部に納める漢和辞典が増えてきています。かくいう小社刊『新漢語林』『現代漢和辞典』なども、検索の便を考えて、そのようにしています。

Q0024 漢和辞典で「輝」を部首から探そうとしたのですが、「光」部がありません。なぜですか?
 部首による漢字の分類を初めて行ったのは、紀元1世紀に作られた『説文解字(せつもんかいじ)』という字典ですが、この字典で「輝」という字を探しても、みつけることはできません。代わりに図の中央のように、「火」偏に「軍」を書いた字をみつけることはできます。どうやら、当時は「輝」ではなくてこの字が一般的に使われていたようです。そのせいか、『説文解字』では「光」という部首が立てられることはありませんでした。
 その後の字典においては、「光」が部首として立てられることがなかったわけではありません。しかし、『説文解字』で540もあった部首が、18世紀、『康熙字典(こうきじてん)』の214という数に整理されていく過程で、多くの部首が涙をのんで消えていきました。「光」も、とうとう部首として陽が当たることはなかったのです。
 現在の漢和辞典の部首立ては、『康熙字典』を基礎としています。伝統を尊重するというのが、漢和辞典の世界のよいところでもあり、悪いところでもあります。現在の漢和辞典でも、「光」を部首とすることはほとんどありません。一部、小学生・中学生向けのものなどにはこの部首を立てることもありますが、立てたとしても収録される漢字は「光」「輝」「耀」くらいのもので、あまり実用的でないと考えられてきたのかもしれません。
 ちなみに、普通の漢和辞典では「光」は「儿」部、「輝」は「車」部、「耀」は「羽」部に収録されています。

Q0025 漢和辞典によって部首が違うことがあるそうですが、どうしてですか?
 現在、漢和辞典の多くは、『康熙字典(こうきじてん)』を基準として部首を定めています。しかし、実際には『康熙字典』の部首にいろいろと手を加えているのが現状です。その理由は、大きく2つあります。
 1つは、字体の変化によって、古い部首が有効ではなくなるケースがあるからです。たとえば、『康熙字典』で「口(くち)」部に収めている「單」という漢字は、第2次世界大戦後の国語改革で「単」という新字体を用いることになったため、そのまま「口」部に配属すると、「口がないのに口部」という妙なことになってしまいます。そこで多くの漢和辞典では、「ツ」部を新設して、「単」を始め、「営」(旧字体は「營」)、「厳」(旧字体は「嚴」)などを収録することにしています。
 もう1つの理由は、『康熙字典』の部首どおりだと、検索しにくい漢字があるからです。たとえば「聞」という漢字は、「門」部に入りそうですが、「耳」に関係する文字ですから「耳」部に入ります。こういった例は、Q0023Q0024でも取り上げたようにたくさんあります。
 こういう事情で、漢和辞典によって部首が違うことがあるのですが、それでは、学校の試験や漢字検定などで困ってしまうことがあります。そこで、小社の漢和辞典の場合、『康熙字典』の部首と違う部首を採用した場合には、かならず元の部首も示すようにしています。

Q0026 一番画数の多い漢字はどんな漢字ですか?
 一般の日常生活で使われる漢字の目安を定めた常用漢字の中では、一番画数の多い漢字は「鑑」で23画ですが、現実にはもっと画数の多い漢字が存在しています。現在のところコンピュータでふつうに表示できる、いわゆる「JIS漢字」の中で最も画数が多いのは「驫」(音読みヒョウ。意味は「多くの馬」)と「鸞」(音読みラン。鳥の一種を表す漢字)で、ともに30画あります。小さいと見にくいですから、画像にしてお見せしておきましょう。
 『大漢和辞典』では、図の左の字のように「龍」という字を4つ並べた漢字(音読みテツ、意味は「口数が多い」)が64画で最高です。しかし上には上があるもので、国字の中には、図の右の字のように、「雲」を3つと「龍」を3つ書いて、84画を数える漢字があります(東京堂書店『国字の字典』より)。この字は、姓名に使われる漢字で「たいと」と読む、と言われていますが、確かなことはわかりません。本当にこんな字の名前の人がいたとしたら、自分の名前を書くだけでずいぶん苦労したことでしょう。

Q0027 「偉」と「韓」とでは、右側の「韋」の画数の数え方が違うようですが、なぜですか?
 たしかに、ふつうの漢和辞典では「偉」は「にんべん」の10画のところに載っていて、「韋」を10画と数えているのに対して、「韓」は総画数17画、左側の部分は明らかに8画ですから、「韋」を9画と数えていることになります。実は、この「韋」という字には2種類あるのです。
 この字はもともと、図のような形をしていました。この場合、一番下の「ヰ」のような部分は、左側の縦棒と下の横棒を続けて1画で書いて、3画で数えます。そこで、全体の画数は9画になるわけです。ところが、第2次世界大戦後、当用漢字では、この部分を分けて書く字体が採用されたため、1画増えて10画となったわけです。
 では、「偉」と「韓」でなぜこの2種の字体を使い分けているのでしょうか。それは、「偉」は常用漢字(当用漢字の改訂版)であるのに対し、「韓」はそうでないからです。漢和辞典の世界では、基本的に常用漢字(当用漢字)による字体の改変を、常用漢字以外の漢字にまで及ぼすことはしていません。そこで、「偉」では新しい形にし、「韓」では古い形を残している、というわけです。
 ただし、2000年になって、常用漢字ではない漢字の字体を定めた「表外漢字字体表」というものが、国語審議会から答申されました。これによりますと、「韓」の場合は常用漢字と同じように10画の「韋」が標準とされています。そこで、小社の『新漢語林』などの最新版の漢和辞典では、「韓」という字を総画数18画とするようになってきています。

Q0028 人名に使える漢字が法律で制限されていると聞いたことがありますが、その法律とはどのようなものですか?
「戸籍法」の第50条に、次のような条文があります。
第50条  子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
② 常用平易な文字の範囲は、命令でこれを定める。
これが、人名に使える文字を制限している法律の実体です。この②の「命令」とは、具体的には「戸籍法施行規則」の第60条になります。
第60条  戸籍法第50条第2項の常用平易な文字は、次に掲げるものとする。
 常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては、括弧の外のものに限る。)
 別表第2に掲げる漢字
 片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)
これによれば、人名として使える文字としては、ひらがな・カタカナの全部と、漢字の一部分ということになります。ローマ字などは使えません。漢字の一部を詳しく見ると、1で常用漢字新字体全て(「括弧書き」とは旧字体のこと)が含まれます。そして、残る2が、いわゆる人名用漢字と呼ばれるものとなります。人名用漢字について詳しくは、「用語集」の人名用漢字の項を参照してください。

Q0029 「衣」という字の左下の「はね」の部分は、1画で書くのですか、2画に分けて書くのですか?
 この部分は、明朝体やゴシック体の活字では、しばしば、図のようにデザインされています。これを見ると、縦棒を書いた後一度区切って、左下から右上へとはね上げているように見えます。しかしこれは、Q0019と同様に活字のデザイン上の問題で、筆写の場合には、この部分はつなげて1画で書くのが普通です。
 このように、活字の字体と手書きの字体とは、細かい部分では厳密には一致しないことが多くあります。それはちょうど、英語のアルファベットにブロック体と筆記体があるのと同じだと考えると、わかりやすいでしょう。したがって、手書きの場合のお手本として活字の字体を用いるのは、あまりおすすめできません。
 ただし、活字の字体の中にも、図のように手書きの字体を意識してデザインされているものがあります。多くの漢和辞典では、筆順を示すところでそういう活字を用いています。手書きの場合のお手本として漢和辞典を用いるときには、筆順の部分を参考にするとよいでしょう。
 なお、活字になったときに「はね」の部分が2画に分かれたように見えるケースには、「衣」の他にも、「比」「長」「氏」「卯」などがあります。

Q0030 「茸」という字の「耳」の部分で、左下からやや右上へと書く横棒は、右側の縦棒の先まで突き出るのですか?
 「耳」という字はもともと耳の象形文字ですが、別にピアスをした耳の絵が元になっているわけではありませんので、この部分が突き出るかどうかというのは、純粋にデザイン上の問題です。
 多くの活字では、「耳」という字単体の場合は、この部分は突き出ています。しかしご質問の「茸」や「聞」「聴」「聖」などのように、「耳」という字を構成要素として持つ漢字の場合には、この部分が突き出るか突き出ないかはさまざまです。大雑把にいって、「耳」の右側になにか別の構成要素がある場合には突き出ない、右側にはなにもない場合は突き出る、というふうに分けているケースが多いようですが、例外も少なくありません(『康熙字典』や『大漢和辞典』では、後者の場合も突き出ない形が多いようです)。
 『大漢和辞典』には、図のように「耳」を2つ並べた字もあって、その場合に右の「耳」は突き出る、左の「耳」は突き出ない、とするのも、左右がふぞろいなようで、妙な気もします。ちなみにこの字は、「二つの耳の人首に在るを示して、至って安穏なる意を表はす」のだそうです。
 「耳」のこの部分に関しては、突き抜けた先を払うか、止めるか、という問題もあって、細かい部分を気にしはじめると、いやになってきてしまいます。いずれにしろいえることは、この部分が突き出たからといって誤字になるわけではありませんし、逆もまた同じだ、ということです。あまり細かい部分にこだわりすぎてはまってしまうのは、よしておいた方が賢明でしょう。

Q0031 「勲」という字の部首は、「力」ですか、「れっか」ですか?
 この字は「勲章」などと使われるように、「手柄」という意味の漢字です。もともと「熏」+「力」から成り、「熏」の部分がクンという音を表し、「力」の部分は、この字の意味が「ちから」に関係していることを表しています(こういう成り立ちの字を形声文字といいます)。実際、旧字体では「勳」という形をしていて、こちらの方が成り立ちを忠実に表した字形だといえます。
 部首とは、もともと漢字を意味の上から分類したものですから、その観点からすると、この字の部首は「力」である、とするのが正しいといえます。事実、現在の部首分類の基礎となっている、中国で18世紀に作られた『康熙字典』では、この字の部首は「力」になっています。
 しかし一方、部首とは漢和辞典の検索方法の1つでもあります。その場合、よりわかりやすい部首の方が便利であることはいうまでもありません。この観点からしますと、「勲」の部首としては「れっか」の方がわかりやすいという見方もできます。というわけで、現在の日本の漢和辞典には、この字の部首を「れっか」とするものも少なくありません。
 なお、漢字検定の部首に関する問題では、『康熙字典』の部首によることを原則としているようですので、注意が必要です。

Q0032 「匠」という字を漢和辞典で引いても、「たくみ」という読みが載っていないのですが、こう読むのは間違いなのですか?
 この字は、技術的に非常に秀でた職人さんのことを表す漢字で、その意味では、優れた職人を意味する「たくみ」という訓読みを当てても、なんら間違いではありません。実際のところ、いくつかの漢和辞典を調べてみましたが、どれもみな、「字義」とか「意味」とかいう欄に、この訓読みを載せています。それでも「載っていない」というご質問をいただくのには、それなりの理由があります。
 『常用漢字表』では、「匠」の字に「たくみ」という訓読みはありません。この訓読みを持つ字は「巧」だけとなっていて、「たくみ」と書きたいときにはこちらの字を使うことになっているのです。漢和辞典では、通常、『常用漢字表』に記載されている訓読み以外の訓読みは、「字義」「意味」などの欄に掲載して、両者に区別をつけています。これが、一見したところ、「匠」という字に「たくみ」という訓読みが載っていないように見える一因ではないかと思われます。
 もともと訓読みとは、漢字の意味が定着したものですから、「定着しているかいないか」の判断によって、訓読みの認定には差がでてきます。『常用漢字表』掲載の訓読みは、いわば文部科学省お墨付きの訓読み、というわけなのです。そのことにどういう価値を見いだすのかは個人の問題ですが、漢和辞典としては、とりあえずそのような情報も提供している、ということになります。

Q0033 おそば屋さんの看板などで、「處」によく似た字を見かけることがあるのですが、漢和辞典を捜しても出てきません。あれは何ですか?
 たしかに、おそば屋さんやお寿司屋さんなどには、写真のような字を書いた看板が掲げられていることがあります。書いてある場所から考えると、どうも「處」(「処」の旧字体)のようですが、形はだいぶ違います。場所柄からして、酔っぱらいが書いたのでは、などと疑ってみたくもなります。
 まず、下半分ですが、これは「匆」という形をしています。「虍」とこの形から成る漢字は、『大漢和辞典』にも出ていて、「處」の異体字です。「匆」の音読みはソウ、「處」がもともと「虍」と「処」から成り、「処」の音読みがソウと比較的近いショであることを考えますと、それほど大騒ぎする異体字ではなさそうです。
 問題は上半分で、これはちょっと目には「雨」のように見える形をしています。現在ではなかなか目にすることがない形ですが、調べてみますと、昔は、手書きの場合は「虍」をこう書くことが多かったようです。
 ここに掲げたのは中国の唐の時代(7~9世紀ごろ)の石碑に刻まれた「處」の字です。まさしく、おそば屋さんの看板と同じ形。この字だけでなく、「虚」「虜」「虞」などを調べてみても、ほとんどが「虍」の部分を同じように書いています。
 これらを総合しますと、この字は「處」の異体字であると判断できます。むしろ、我々が今使っている漢字よりも由緒正しい文字であるといってもよいかもしれません。酔っぱらいが書いたのでは、などと考えていたのは、とんでもなく失礼なことなのでした。

Q0034 「逸」という字が11画なのはわかりますが、その旧字体の画数がなぜ12画になるのかが、わかりません。
 「逸」という字は、「しんにょう」3画+「免」8画から成りますから、合計11画となります。旧字体は、図のような形をしていますが、見ての通り、「しんにょう」はいわゆる「2点しんにょう」となって、1画増えて4画。「免」にも点が1つ増えますから、9画。併せて13画となりそうなものです。ところが、各種漢和辞典を調べてみますと、12画となっていますから、不思議に思うのも無理はありません。
 この謎を解くカギは、「免」の方に含まれています。この部分、旧字体になった場合の筆順は、実は、次のようになっているのです。
 つまり、「日」が横になったような部分の真ん中の縦棒と、「儿」の左側の払いが、つながっているのです。ここで1画減る分、13画ではなく12画になるわけです。
 どうしてそんなヘンな書き方をするのかって? そんなことを言われても困るのですが、この部分、字源的には「兎」(ウサギ)と同じのようです。「兎」の篆文(てんぶん。「篆書」とも)は図のような形をしていますから、その名残とでも考えておくしかないのではないでしょうか。

Q0035 「林檎」の「檎」の画数は、17画だと漢和辞典には出ていますが、16画の間違いではないですか?
 漢和辞典を調べますと、この字は「木」へんの13画のところに出ています。「木」が4画であることには異論はないでしょうから、問題は「禽」の方にありそうです。
 「禽」で画数が問題になるのは、下半分の「ム」のような形をした部分です。この部分を2画で数えるか、3画で数えるかによって、画数が違ってきてしまうのです。「禽」の下半分は、「ぐうのあし」とか「じゅうのあし」とか呼ばれる部首の形で、この部首に所属する漢字としては、「禹」(ウ。中国古代の帝王の名前)、「禺」(グ。おながざる)、「禽」(キン。鳥)などがあります。
 図に掲げたのは、それぞれの漢字の篆文です。よく見るとわかる通り、現在では、「禽」だけが「ム」のような形で書かれることになっていますが、これらの漢字の下半分は、もともとは同じ形をしていたのです。その名残として、「禽」の画数を数える場合も、「ム」の部分を3画で数えるのが慣例となっているわけなのです。
 その結果、この部分の画数は13画となり、「檎」の総画数は17画となります。同じような例として、「離」という字があります。こちらは、「隹」が8画、左側が11画で合計19画となります。

Q0036 「利益」には、「リエキ」と「リヤク」の2つの読み方があって、意味も違うようですが、どうしてそんなことになっているのですか?
 日本語とはまったくやっかいな言語でして、同じ表記なのに読み方が違い、意味も微妙に違ってくるという、困ったことばがあるのです。「利益」もその1つで、「リエキ」と普通に読めばなんてことはないごくフツーのことばですが、「リヤク」と読むと、仏様や菩薩様が人にさずける徳を意味する、ありがたーいことばとなるのです。
 問題は、どうしてそんなことになっているかなのですが、Q0007で触れたとおり、漢字の読み方にはその伝来の時期によって呉音漢音などの違いがあります。
 「利益」を呉音で読んだのがリヤク、漢音で読んだのがリエキです。この2つの読み方のうち、古いのは呉音の方で、「利益」ももともとは「リヤク」と読まれていたものと思われます。
 呉音は後に漢音にとって代わられるのですが、その背景には、遣唐使から帰ってきた人など、中国語ができる人からみると、呉音はすでに時代遅れの発音となっていたことがあるようです。792年には、「今後は漢音を使うこと」という天皇陛下直々の命令が出ているくらいです。現代にたとえるならば、「今後、ネイティブの発音ができない人は英語をしゃべっちゃだめ」という法律ができるようなものでしょうか。
 このように日陰者扱いされた呉音ですが、命令や法律で根絶やしにできるほど、ことばというものはやわなものではありません。その後も呉音は生き延びつづけるのですが、その主な舞台は、仏教の世界だったといわれています。お坊さんたちは、呉音を使い続けたのです。留学経験のある若者を向こうに回して、日本語なまりの英語をしゃべりつづけるおじさんたちのイメージでしょうか。
 そこで、現在、呉音で読む熟語には、仏教関係のことばが多いといわれています。「利益」のように、仏教用語として特殊な意味合いを持つようになったことばは、このようにして生まれたのです。

Q0037 日本史に出てくる「倭寇」には、「倭冦」という表記もあるようですが、どちらが正しいのですか?
 「宀」(うかんむり)と「冖」(わかんむり)の違いですね。点のあるなしくらい、どうでもいいといえばどうでもいいことですが、気になりだすと気になってしかたがないその気持ち、よくわかります。
 このことば、『国史大辞典』(全15巻、吉川弘文館)では「宀」で出ています。また、高校日本史の教科書でも、同じく「宀」で出ていることが多いようです。これらからすると、「宀」が正しい、といえそうです。
 この字は、字源的には諸説あります。「完」と「攴」から成り、家の中にいる囚人(完)をむち打つ(攴)形とするもの、同じく「完」と「攴」から成り、完全に取り巻いた家(完)に押し入る(攴)形とするもの、また「宀」と「元」と「攴」とから成り、家(宀)の中にいる人(元)をたたく(攴)形とするもの、などです。
 ここで重要なのは、いずれの場合も「家」が関係していることです。「宀」とはもともと家の形をかたどった象形文字ですから、これらの字源説から判断しても、この漢字では「宀」を使うのが正しいといえます。
 ちなみに「宀」は、字形の類似からよく「冖」と間違えられ、それが定着してしまったものも多くあります。たとえば「写」はもともと旧字体で「寫」、この「宀」が「冖」に変化して「冩」と書かれたものが、現在の字体の元になっています。
 その他にも「冤罪」(エンザイ。無実の罪)の「冤」にも、「寃」という異体字があります。調べていくと、「冗」にも「冥」にも、それぞれ「宀」の異体字があるから驚きです。ここまでくると、もうどうでもいい、という感じもしてきますね。

Q0038 漢和辞典で「都」という字を調べようとしたのですが、部首索引の3画のところに「おおざと」が見つかりません。どうしてですか?
 どうやら古い漢和辞典を大切にお使いのようですね。漢和辞典編集者としては、うれしい限りです。
 さて、部首の「おおざと」は、もともとは「邑」(むら)という形が変形して生まれたものです。ちなみに「おおざと」という名前も、「むら=さと」に由来しています。それぞれの画数をあらためて数えてみると、「おおざと」は3画ですが、「邑」は7画になります。
 というわけで、漢和辞典では伝統的に、「おおざと」は部首索引では7画のところに立ててあるのが普通です。昔の人はそれで不便を感じなかったのかもしれませんが、今ではさすがに使いにくく感じるのが当然というところ。現在の漢和辞典では、「おおざと」は7画と3画と、両方に立ててあるものが多くなっています。
 実際のところ、漢和辞典で「おおざと」のところを眺めてみても、「邑」という形を現在まで保ち続けている字はほとんどありません。それでも部首索引の7画にも残しておくあたり、漢字の世界の伝統への「こだわり」も相当なものかもしれません。
 ところで、部首の中には、このように見た目と違う画数で数えるものがいくつかあります。このことについては、当資料館内「『大漢和辞典』よくある質問」のQ05にまとめてありますので、そちらをご参照ください。

Q0039 「親が切る」と書いて、どうして「人に優しい」ことなのですか。「大きく切る」と書いて、どうして「大事」の意味になるのですか?
 たしかに考えてみれば「親切」とは「親が切る」と読めますね。そこからすると、夕ご飯の支度のために大根を切る優しいお母さんの姿か、はたまた、ホラー映画にでも出てきそうな、包丁を持った残酷な親の姿を想像してしまいそうです。
 実は、「切」という漢字には、ある漢字の下に付いて「非常に~~である」という意味を表す働きがあります。つまり、「親切」の場合は、「非常に『親』である」という意味になるのです。そしてこのときにもう1つ重要なのは、「非常に~~である」の「~~」の部分には、日本語ではふつう、動詞や形容詞が入りますから、「○切」の「○」の漢字も、動詞や形容詞として理解しなくてはいけないことです。つまり、「親切」の「親」とは、「おや」ではなくて、「したしい」「したしむ」という意味なのです。
 というわけで、「親切」という熟語は「非常にしたしくする」という意味になります。同様の熟語としては、「痛切」「哀切」「適切」「懇切」などがあります。
 ちなみに「大切」の場合も、同じように理解してよいとは思いますが、このことばは中国の古典には見あたらない、和製漢語のようです。『日本国語大辞典』(小学館)によれば、その意味も時代によっていくぶん違うようですから、単純な理解は禁物かもしれません。

Q0040 宮沢賢治の「永訣の朝」の中に出てくる「陰惨」という熟語は、「いんざん」とルビが振られていますが、「いんさん」が正しいのではないですか?
 小社の学習漢和辞典『新漢語林』では、「陰惨」の読み方として「いんさん」「いんざん」の両方を挙げています。しかし、各種の辞典でこの熟語を調べてみると、読みを「いんさん」だけとしているのが圧倒的です。多数決によるとすれば、やはり、「いんさん」が正しいように思われます。
 しかし、「惨」の字に「ザン」の音がないかというと、そうでもありません。「無惨」は「むざん」と読みますし、「惨敗」も「ざんぱい」と読むのが現在では一般的です。この漢字、「サン」と読むのが正しい音読みではあるのですが、「ザン」の方も一般に使われることが多く、いわゆる慣用音として認められているのです。そこで、『常用漢字表』でも、「サン」とともに「ザン」の読みが掲げられています。
 また、「~んさん」という読みを持つ熟語が、慣用的に「~んざん」と読まれることは少なくありません。例を挙げれば、「安産」「暗算」「金山」「銀山」「検算」「見参」などです。
 これらに、「さん」という澄んだ音よりも「ザン」という濁った音の方が響きが重いことを考え合わせると、「陰惨」という熟語を「いんざん」と読むのを間違いと言い切ってしまうのには、ちょっとためらいを感じるところです。将来、『新漢語林』を改訂する際には、この問題を再検討する必要がありそうですが、「いんざん」も残したいというのが、いまのところの正直な気持ちです。
 宮沢賢治が「いんざん」とルビを振ったのは、東北弁をそのまま反映しているのだ、という説もあるそうです。『新漢語林』編者の中にも東北出身の先生がちらほら……。その影響がないとはいえなかったりして……。

Q0041 私は今まで「扉」という字をなんとなく「ドア」と読んでいたのですが、これは間違いでしょうか?
 ユニークなご質問ですね。ふつうの漢和辞典を調べると、この字の音読みは「ヒ」、訓読みは「とびら」となっていて、「ドア」という読みは見あたりません。そもそも「ドア」は "door" という英語です。漢和辞典的には、間違い、といってもよいでしょう。
 しかし、訓読みとは、中国語としての漢字の意味を、日本語に翻訳したものです。「扉」という字の意味が「ドア」であることには違いがありませんから、「ドア」ぐらい日本語のような顔をしてまかり通っている英語であれば、訓読みとして認めてやってもいいような気がします。
 そんなことを考えながら仕事をしていて、ふと気付いて撮影したのが、この写真。これは小社の玄関ですが、「自動扉」と熟語として書かれると、思わず「じどうドア」と読んでしまうのは、私だけでしょうか。考えてみると「回転扉」だってそうです。将来、「ドア」という読みが漢和辞典に採用される日がくるかもしれません。
 それにしても、この写真。小社ビルの建築年代が、読者のみなさんにばれてしまいそうで、私は少しおそろしいです。

Q0042 「袁」がつく漢字は、「猿」という字は下がはねていますが、「園」「遠」「環」などは、下がはねていません。どうしてなのでしょうか?
 そうなんですよね、この字は古くから字体に不統一があって、漢和辞典編集者泣かせなのです。
 漢字の字体は一般に、18世紀に中国で作られた『康熙字典』に拠っています。そこで、これらの字を『康熙字典』で調べてみると、図のようになっています。
 「袁」と「猿」と「環」は下がはねていますが、他ははねていません。また、右斜め下へ伸びている部分も、払ってあったり止めてあったりしています。字体の混乱は、『康熙字典』から始まっているのです。
 これがそのまま現代まで継承されていれば、「『康熙字典』のせいです」で済むのですが、そうはいかないのが難しいところ。ご質問にあるように、現在一般的に用いられている字体では、「袁」と「猿」だけがはねていて、「環」「園」「遠」ははねていないのが多いのです。つまり、『康熙字典』と比べると、「環」が「はねない派」へと宗旨替えをしているわけですが、これには、事情があります。
 第2次世界大戦後の国語改革で、当用漢字が制定された際、字体に関しても検討が加えられ、多くの略字が採用されたほか、字体の統一も行われました。その際、「環」という字は、「園」「遠」と同じ字形に変更されたのです。では「猿」はどうかというと、この字は当用漢字に入らなかったため、その字体に関しては不問にされたのです。
 「環」の宗旨替えの理由は以上ですが、現在発行されている漢和辞典を見ると、「猿」という字は常用漢字となっています。常用漢字とは当用漢字が改定されたものですから、「猿」が常用漢字に入る際、この字の字体も変更されてもよかったようにも思われます。しかし、常用漢字というものは、もともと、当用漢字にくらべて「字体についてうるさく言わない」という特徴があります。『常用漢字表』には、「(付)字体についての解説」という文書が付属していて、その中で、「このような細かい部分は気にしないでよろしい」ということが、実例を挙げて示されています。今回のご質問に関連したところでは、「環」という字が、次のように掲げられています。
 ちなみに、「袁」という字は、現在でも常用漢字には入っていないため、字体としては『康熙字典』のままになっています。
 以上、漢和辞典編集者泣かせの物語をお聞かせしましたが、ご納得いただけましたでしょうか? その表情からすると、ムリっぽいですよねえ……。

Q0043 「火」へんに「華」と書く漢字は何という意味ですか? 漢和辞典を探したけれど見つかりません。
 このご質問に端的にお答えすると、音読みはヨウ、意味は「光がさかんなようす。かがやくようす。」ということになります。しかし、当Q&Aコーナー的に気になるのは、「漢和辞典を探したけど見つかりません」の方です。
 漢和辞典でこの漢字を探そうとすると、読みも意味もわからないとすれば、部首と画数で検索するしかありません。部首は「火」、部首を除いた画数は10画、で問題なさそうですが、ところがここに落とし穴があります。「火」の10画のところを探しても、多くの漢和辞典では、この字は出てこないのです。
 その理由は、この漢字の右側、「華」の部分の形にあります。たとえば小社の誇る『大漢和辞典』では、この字は図のような形をしています。よく見ると、「華」の「くさかんむり」の真ん中が切れているのと、同様にその下の部分も「十十」のような形になっていることがわかります。なんだか「十」ばっかり5つも書く、ちょっとめんどくさい漢字です。これは実は「華」の旧字体ということになるのですが、それはともかく、このため、この漢字は「火」の12画、ということになるのです。
 多くの漢和辞典では、この漢字の字体として、『大漢和辞典』と同じ12画の字体を採用しています。そのため、漢和辞典を探しても見つからない、ということがあり得るのす。
 この話には実はさらに続きがあります。現代の漢和辞典が規範としている『康熙字典(こうきじてん)』でこの字を調べると、図のような妙な漢字に行き当たります。これは「欠画(けっかく)」と呼ばれる現象で、この字典が編纂された時の皇帝・康熙帝の本名の中にこの字が含まれていたため、それを直接書き記すのはおそれおおいというわけで、縦棒を1本外してあるのです。なにもこんなに大事なところを外さなくても、とも思いますが、そこが皇帝の権威というわけでしょうか。ちなみにこの字は、こんな形をしていても、「火」の12画のところに収まっています。

Q0044 電子辞書で「葛」の字を引いてみると、下の「勹」の中にカタカナの「ヒ」のようなものが入っています。そこは正しくは「人」のようなものが入るべきだと思うのですが、間違いではないのでしょうか?
 たしかにおっしゃる通りです。「葛」の字は、本来は図のような字体が正しいのです。では、私たちが今使っている「葛」とはなんなのでしょうか? これは、そのスジの人たちの間では「JIS字体」と呼ばれているものです。
 コンピュータで扱う漢字を定めたJIS漢字のうち、それまで一般の印刷に使用されていた字体と違う字体のことを「JIS字体」と呼んでいるのですが、「葛」もそのうちの1つです。コンピュータの世界では原則としてこの「JIS字体」が使われていますが、辞典を中心とした印刷物の世界では、組版システムの関係などから、それまで通りの字体が正式の字体として使われ続けてきました。そこで、これらの字に関しては、2つの字体が並立している、というわけです。
 こういった「字体の混乱」を解決するため、国語審議会で検討が行われ、2000年12月、「表外漢字字体表」という答申が出されたことは、ご記憶の方も多いでしょう。この答申によれば、手書きではなく印刷する場合には、「葛」ではなく本来の正しい字体を用いるのを標準とする、としています。
 その後、「表外漢字字体表」を受けて、JIS漢字も2004年にこの方向で改定されました。実際のパソコンにそれが反映されるにはしばらく時間がかかるようですが、「字体の混乱」が近い将来、鎮静化することが期待されますね。
 ちなみに、小社のデジタル版漢和辞典「デジタル漢語林7000」「新漢語林デジタル版」では、この字体をちゃんと表示するようにしてあります。この2つは、現在、セイコーインスツル株式会社の電子辞書に搭載されています。

Q0045 「心」という漢字の最後に打つ2つの点は、一番長い2画目の線のはねをまたいで打たないと、漢字テストなどでは×になるのでしょうか?
 「心」という字の古い字形を見てみると、図のように、現在の楷書(かいしょ)とは似ても似つかない形をしてます(左が金文、右が篆文)。これらは、心臓の形を写した象形文字だと言われていて、そう聞くと、なんだか生温かいような感じがしてくるから不思議です。
 そこで、字源的な観点からは、2つの点をどのような位置に打とうが、間違いであるとは言えません。また、他の字と間違いかねないかどうか、という観点から検討しても、類似の字形はありませんので、問題はないと思います。
 そこであとは、デザイン感覚、美的センスの問題になります。たしかに、この2つの点が2画目のはねをまたいでいる方が、バランスはよさそうです。実際、楷書ではそのように打つのが圧倒的に多いようです。しかし、もし今この画面を、WindowsマシンのMSゴシックというフォントでご覧になっているとすると、その「心」の2つめの点が2画目のはねの真上に打たれていることにお気づきになるに違いありません。活字では、文字を大きく見せるため、このようなデザインにすることが多いようです。
 というわけで、ご質問に対しては、×にはならない、というお答えになります。ただし、かつては漢字の字体指導が非常に厳しく行われた時代がありました。そういう時代には、この程度の問題で×を付けていたこともあるそうです。そのころに漢字教育を受けた人が採点者だと、×を付ける可能性がないとはいえません。採点者の「心」にあなたの人生がかかっているような局面では、点はまたいで打っておくにこしたことはないかもしれません。

Q0046 「望蜀の嘆」ということばをよく目にしますが。これは「ぼうしょくのたん」と読むのでしょうか。それとも「ぼうしょくのなげき」でしょうか。
 小社『漢文名言辞典』(鎌田正・米山寅太郎著)によれば、このことばの意味は、「隴(ろう)の地を手中に収めた勝利に乗じて、更に蜀(しょく)の地を攻め取ろうと望むこと。一つの望みを達して、さらにもう一つと欲ばること。欲が深くて満足することを知らないことのたとえ」とあります。そして、「望蜀の嘆」の「嘆」には、「たん」とルビが振ってあります。
 では、「なげき」と読むのは間違いなのでしょうか?
 この問題を、送り仮名、という側面から考えてみましょう。内閣告示「送り仮名の付け方」(1973年告示、1981年一部改正)の「通則4、本則」には、次のように書かれています。
「活用のある語から転じた名詞…(中略)…は、もとの語の送り仮名の付け方によって送る。」
 「なげき」は、「なげく」が転じて名詞になったものですから、この条項に該当します。そこで、「もとの語の送り仮名の付け方」がどうなっているかを見ると、「通則1、本則」に次のように定められています。
「活用のある語…(中略)…は、活用語尾を送る。」
 「なげく」は、「なげかない」「なげきます」……と活用しますから、「なげ」が語幹で「く」が活用語尾。したがって、「く」が送り仮名。とすると「なげき」も「嘆き」と書くのが正しい、ということになります。
 以上の議論からすると、やはり、「望蜀の嘆」は、「ぼうしょくのたん」と読んでおくのが正しい、といえるでしょう。

Q0047 「指南」という熟語は、「教え導く」という意味ですが、どうして「南」という漢字が使われているのでしょうか?
 つまり、どうして「指北」や「指西」や「指東」ではないのか、ということですね。
 「指南」という熟語は、現代日本でもよく使われることばですが、実はもともとは「指南車」(しなんしゃ)という、ある種の車のことを指すことばから生まれた熟語です。
 では「指南車」とはどんなものかと申しますと、中国古代、馬に引かせる車の上に人形を取り付けて、その人形が常に南を指さしているような仕掛けを施したものだそうです。『三才図会』(さんさいずえ)という本にその人形の図版がありますのでお目に掛けますが、なんのことはない、方位磁石が取り付けられた車のことです。しかし、その磁石の部分が手を伸ばした人形になっているあたり、現代の感覚からするとなかなかかわいくて、商品化したら意外と売れるのではないかと思わせます。
 ただ、現代の磁石は北を指すのが普通なのに、どうして南を指すのでしょうか。考えなくてもおわかりになるように、「犬が西向きゃ尾は東」、北を指すということは、同時に南を指すということでもありますから、どちらに主眼を置くかの違いだけです。中国では古くから「天子は南面す」といって、やんごとなきお方は、南を向いて座る習慣がありますから、そのあたりの意識が関係しているのかもしれませんね。

Q0048 「職由」という熟語を辞書で調べると、「その事が主な原因になっていること」とありますが、「AはBに職由する」の場合、原因となっているのはAなのでしょうか、Bなのでしょうか。
 難しい熟語をお調べですね。
 現在ではほとんど使われませんが、「職」という漢字には、「主に」という意味があります。小社『大漢和辞典』を引くと、この意味の用例として、次のようなものが挙がっています。
「今、諸侯の我が寡君(かくん)に事(つか)えること、昔のごとくならざる者は、蓋(けだ)し言語の漏洩(ろうえい)する、則(すなわ)ち職(おも)に女(なんじ)に之(これ)由る」
 これは、紀元前の中国の歴史書『春秋左氏伝』(しゅんじゅうさしでん)の一節ですが、「みんなが昔みたいに我が主君に仕えてくれないのは、きっと秘密が漏れているからで、それはほとんどお前のせいじゃないか!」といった意味でしょうか。何があったのかは知りませんが、なかなかの修羅場のようです。
 「職由」という熟語は、まさにこの場面で使われていることばで、簡単に言い換えてしまえば、「主に由(よ)る」という意味なのです。
 これがわかってしまえば、事は簡単。「AはBに職由する」の場合、「AはBに主に由る」というわけですから、原因となっているのはB、結果がAであると考えられます。

Q0049 「考拠」という熟語は「ある事をよりどころとして考えること」という意味だそうですが、「事実を考拠する」という場合、「事実」を「よりどころ」として考えるのでしょうか。それとも、なにかを「よりどころ」として「事実」を考察するのでしょうか。
 この熟語は、『大漢和辞典』や『日本国語大辞典』(第2版、小学館)、『広辞苑』(第5版、岩波書店)など、種々の辞典に載ってはいるのですが、意味としては、「考えの根拠」となっていて、ご質問にある「考拠する」という動詞形での解説はありません。
 動詞としての解説があるのは、『大辞林』(第2版、三省堂)で、意味は「ある事をよりどころとして考えること」となっています。用例として幕末維新の戯作者・仮名垣魯文(かながきろぶん)の『西洋道中膝栗毛(せいようどうちゅうひざくりげ)』から、「事実を考拠せんも」が挙がっていますが、これだけでは、残念ながら、ご質問にお答えするだけの情報は得られません。
 そこで、『西洋道中膝栗毛』を実際に見てみましょう。この作品は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんの孫が、ロンドンの万国博覧会の見物に出かけるという、かの「ルパン三世」の遠い祖先にあたりそうな作品。問題のシーンは、第七編の冒頭、アラビア半島南端の「アデン」の描写にまつわる部分です。
 魯文は、自分は一度も海外へ出たことがなく、資料のみにたよってこの作品を書いているのですが、アデンに関して、福沢諭吉『西洋旅案内』と、『新刻輿地誌略(しんこくよちしりゃく)』のあいだに記述の相違があることにとまどいを感じたらしく、次のように記しています。
「僕(やつがれ)、当地の情景を綴るにおよびて、この一事に疑惑(まどひ)しが、児戯の小冊、敢(あへ)て事実を考据せんも、所謂椽(えん)の下のちから持、労して功なしとおもふものから、両書の中庸を取て、能加減(いいかげん)にごまかす事、左の如し。」(「据」は「拠」と同じ。)
 どうやら魯文は、『西洋旅案内』と『新刻輿地誌略』の2つを「よりどころ」として「事実」がどうなっているかを検討してもしかたがない、と言っているようです。これによる限りでは、なにかを「よりどころ」として「事実」を考察するのではないでしょうか。

Q0050 『般若心経(はんにゃしんきょう)』の中に「咒」という字が出てきますが、「呪」とこの字とには、何か意味の違いがあるのですか?
 「呪」という漢字は、紀元1世紀に書かれた中国最古の字書、漢字学のバイブル『説文解字(せつもんかいじ)』にも出てこない漢字で、「呪われた漢字」というほどではないにしろ、ちょっとミステリアスな漢字です。その由来については、例によって諸説あるようですが、もとは「祝」という漢字と同源であったようです。本来は、神様に向かってなにか申し上げるような、そんな意味らしいのです。
 一方、「咒」の方は、一般に漢和辞典では「呪」の異体字、と説明されています。『般若心経』では、梵語(ぼんご)「マントラ」の訳語として使われています。「マントラ」とは、「宗教的儀式に用いられる神歌」のことだそうですから(このあたりは、岩波文庫の中村元先生の注によります)、意味からすると、「呪」と同じと見て問題ないでしょう。
 ちなみに、中国の明(みん)王朝の時代に編纂された『正字通(せいじつう)』という字書では、この両字について、「昔は『咒』と書き、俗に『呪』と書いた、と説明する本もあるが、形が少々違っても意味は同じなのだから、その説は採らない」というような意味の記述があります。
 これらからしますと、「咒」と「呪」は、意味上の違いは全くないと見てよいでしょう。


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