最新の誤用あれこれ ――間違っている人は意外に多い!? ――

こんな言い方・書き方は正しい?
金は天下の回し者 空前の灯火(ともしび)
恩にきります 命あっての物だね~
人の噂も四十九日 二の舞を踏む
天下の宝刀 田で食う虫も好き好き
濡れ手で泡 ご多聞に漏れず
落選の苦渋をなめる 高値の花
腹が座った 吐いて捨てるほどある

こんな場面で使っても大丈夫?
オリンピックで活躍する日本選手について……「頭が上がりません
ケチな人が珍しく大きな買い物をしたときに……「鬼の霍乱(かくらん)ですね」
友達に言われた言葉にショックを受けて……「飼い犬に手を噛まれたような気持ちです」
すれ違いざまに自分を見て笑った人がいたので……「堪忍袋の緒が切れそうになりました」
京都で、素敵な着物を着ている人を見て……「さすが京の着倒れです」
愛読しているブログの書き手に向かって……「草葉の陰から応援してます」
いろいろな客が集まる店について……「この店は呉越同舟(ごえつどうしゅう)ですね」
自分に気のある素振りを見せる女性について……「彼女、ひょっとして僕に脈がある?」
融資をすべて断られ、最後の最後、叔父に借金を頼むときに……「溺れる者は藁をもつかむ思いで叔父さんにお願いするんです」
得意先の人に向かって……「枯れ木も山のにぎわいですから飲みに来てください」
あまりに面白くて……「笑いすぎて腸(はらわた)が千切れた




解説



こんな言い方・書き方は正しい? ―解説―
金は天下の回し者
正しくは「金は天下の回り物」。「回り物」を「回し者(=敵方から送り込まれたスパイ)」と誤解した「金は天下の回し者」は誤り。

空前の灯火(ともしび)
正しくは「風前の灯火」。「風前」は風の当たる所。風に吹かれる灯火が今にも消えそうなことから、危険が迫っていて滅ぶ寸前であることのたとえにいう。「空前の灯火」は誤り。

恩にきります
正しくは、「恩に着る」の丁寧形で、「恩に着ます」。「きる」を「切る」と誤解した「恩にきります(切ります)」は誤り。

命あっての物だね~
正しくは「命あっての物種」。「物種」は、物事のもととなるものの意。何事も命があって初めてできるものだ、という意味。「物+だ(助動詞)+ね(助詞)」に解した「命あっての物だね~」は誤り。

人の噂も四十九日
正しくは「人の噂も七十五日」。「人の噂も四十九日」は誤り。「四十九日」は、人の死後四十九日目に当たる日(に行う法要)。

二の舞を踏む
正しくは「二の舞を演じる」。類義の「轍(てつ)を踏む(=前人と同じ失敗をする)」や、語形の近い「二の足を踏む(=ためらう)」と混同して、「二の舞を踏む」ということも多いが、誤り。

天下の宝刀
正しくは「伝家(でんか)の宝刀」。「伝家」は、先祖から代々その家に伝わること。「天下の宝刀」は誤り。

田で食う虫も好き好き
正しくは「蓼(たで)食う虫も好き好き」。「蓼」は、タデ科タデ属の植物の総称。辛くて苦いタデを好んで食う虫もあるように、人の好みはさまざまだということ。「田で食う虫も好き好き」は誤り。

濡れ手で泡
正しくは「濡れ手で粟」。水に濡れた手で粟(=穀物の一種)をつかめば粟粒がたくさんついてくることから、何の苦労もしないで利益を得ることをいう。「濡れ手で泡」は誤り。

ご多聞に漏れず
正しくは「ご多分に漏れず」。「多分」は多数・大部分の意で、「ご多分」は多くの人の意見や行動のこと。「ご多聞に漏れず」は誤り。

苦渋をなめる
正しくは「苦汁をなめる」。「苦汁」は苦い汁。転じて、それを飲まされたような苦しい経験をいう。「苦渋をなめる」は誤り。「苦渋」は悩み苦しむ意で、汁と違ってなめることができない。

高値の花
正しくは「高嶺の花」。「高嶺」は高い峰(みね)の意。はるかな山頂に咲いている花は、欲しくても摘むことができないことからいう。高価なために手が届かないものも少なくないが、「高値の花」は誤り。

腹が座る
正しくは「肝が据わる」。「据わる」は、どっしりと落ち着いている意。「腹が座る」は誤り。

吐いて捨てるほど
正しくは「掃いて捨てるほど」。あり余るほどたくさんあるさまをいう。「吐いて捨てるほど」は誤り。
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こんな場面で使っても大丈夫? ―解説―
頭が上がりません
「頭が上がらない」は、相手に負い目を感じて対等にふるまえないさま。「借金があるので彼には頭が上がらない」などと使う。感服したときには、「頭が下がる」を使うのが適切。

鬼の霍乱(かくらん)
「鬼の霍乱(かくらん)」は、ふだん頑強な人が珍しく病気にかかること。「あの丈夫な男が寝込むなんて、鬼の霍乱だね」などと使う。ケチな人が珍しく高い買い物をしたなど、単に珍しい意で使うのは誤り。

飼い犬に手を噛まれたような
「飼い犬に手を噛まれる」は、かわいがって面倒をみてきた者に手ひどく裏切られることのたとえ。「主人―飼い犬」の関係になぞらえても不適切ではない関係・場合に言い、ふつう友達には使わない。

堪忍袋の緒が切れ
「堪忍袋の緒が切れる」は、「我慢のできる範囲までは我慢してきた」という意味合いを含むため、多く、怒りの要因がある程度続いてきた場合にいう。突発的なこと、その場限りのトラブルに使うのは本来の用法になじまない。

京の着倒れ
「京の着倒れ」は、服飾に贅(ぜい)を尽くす京都の気風をいうことば。「着倒れ」は衣服に金をかけすぎて財産をなくす意。素敵な着物を着ているからといって、財を傾けてもいない京都の人に使うのは誤り。

草葉の陰
「草葉の陰」は、「草の下」の意で、墓の下・あの世という意味。「陰ながら」の意に誤解して、「草葉の陰から応援しています」などと使うのは、笑い話では済まされない誤り。

呉越同舟
「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」は、敵対する者どうしが同じ場所に居合わせること。中国の春秋時代、宿敵どうしの呉と越の者がたまたま同じ舟に乗り合わせたが、暴風に襲われて舟が転覆しそうになると、互いが左右の手のように動いて助け合ったという故事に基づく。いろいろな客が集まるようすに言うのは誤り。

脈がある
「脈がある」は、脈拍が絶えないかぎり命は持続することから、見込みがある・希望がもてる、という意味。男女関係についていうことも多いが、「彼女、ひょっとして僕に脈がある?」など、「気がある」の意で使うのは誤り。

溺れる者は藁をもつかむ
「溺れる者は藁(わら)をもつかむ」は、非常に苦しんだり困ったりしたときは、どんなに頼りにならないものにでもすがろうとするということ。「藁」は頼りになりそうにもないもののたとえ。直接本人に言うと、「私は藁か」ということになって相手の不興を買う。

枯れ木も山のにぎわい
「枯れ木も山のにぎわい」は、つまらないものでも、ないよりはあったほうがよいということ。「枯れ木」はつまらないもののたとえ。「私など何のお役にも立てませんが枯れ木も山のにぎわいでやってきました」などと使うのはよいが、得意先の人に向かって「枯れ木も山のにぎわいですから飲みに来てください」と言うのは大変失礼。

腸(はらわた)が千切れる
「腸(はらわた)が千切れる」は、耐えがたいほどの悲しみを感じる意。「はらわた」は、臓腑(ぞうふ)、内臓。悲しみのあまり臓腑がずたずたに切れてしまう意からいう。「笑いすぎて腸が千切れた」など、笑いすぎる意で使うのは誤り。笑う場合の形容には「腹がよじれる」を使う。
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