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1. 創業期
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大修館書店は、鈴木一平によって大正7(1918)年9月10日、東京市神田区錦町1丁目2番地に創業された。 大修館書店という名称は、大倉書店の「大」と修学堂書店の「修」とをとって命名したものである。創業者鈴木一平は、少年期から修学堂で出版業務を修得し、その主人辻本末吉氏の出身である大倉書店の出版方針から強い影響を受けていた。 当初は、学生を対象とした参考書の出版を主とした。処女出版は、大島隆吉著『試験によく出る和文英訳正しき訳し方』である。その後、出版点数の積み上げに努めた結果、大正末年には出版点数も30余点を数えるほどになった。これらの出版物は、広く学生の間に普及し、毎年版を重ね、事業の基礎を固める大きな力となった。なかでも、大正12(1923)年2月発行の諏訪徳太郎著『受験準備・最も要領を得たる外国地理』をはじめとする「最も要領を得たる」地理・歴史の参考書は、後年戦災によって紙型類を焼失するまでの永い間、ロングセラーの代表的なものであった。 大正12年9月1日の関東大震災の折、紙型類を守り抜いた鈴木夫人ときの活躍も、事業の基礎を築く上に大きな役割を果たした。 |
大7 6. 栗田書店創業。 8. シベリア出兵。 9. 原敬内閣。 大8 1. 改造社創業。 2. 刀江書院創業。 4. 日本評論社創業。 大11 8. 小学館創業。 大12 1. 『文藝春秋』創刊。 9. 大震災で東京の出版関連業者の98%が罹災・焼失。 |
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2. 経営基礎の確立と『大漢和辞典』の編纂
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昭和3(1928)年3月、東京市神田区錦町3丁目10番地(現神田錦町3丁目24番地、現在地)に新しい事務所を建設した(この建物は昭和20(1945)年の戦災まで使用した)。 学習参考書に加えて、昭和4(1929)年、竹原常太編『スタンダード英和辞典』、同8(1933)年、竹原編 The Standard Readers Book 1~5(中等学校用検定教科書)を発行し、創業以来の念願であった辞書・教科書・参考書の三本の柱が形づくられた。のち、昭和16(1941)年には竹原編『スタンダード和英辞典』をも刊行し、「辞書はスタンダード」の名声を博すに至った。昭和9(1934)年12月2日、株式会社大修館書店に改組し、名実共に経営の基礎を確立した。 さて、大正14(1925)年、鈴木一平は大きな漢和辞典の出版企画を思い立った。2年有半の交渉の末、昭和3年6月16日、諸橋轍次先生との間に出版契約が成立、以来幾多の困難を克服して昭和18(1943)年9月10日『大漢和辞典』巻一を発行した。巻二以降を引き続き発行すべく鋭意努力を傾けていたところ、昭和20年2月25日、戦災を受け、事業所・工場・組み置きの原版等一切を焼失した。 |
大13 7. 石井茂吉・森沢信夫、邦文写真植字試作機を発表。(昭5実用機完成) 大15・昭1 12. 改造社「現代日本文学全集」刊行(予約頒価1円)。〈円本時代〉の開幕。 昭3 2. 最初の普通選挙。 昭15 12. 日本出版文化協会設立(用紙配給割当・出版物配給調整及び年間出版企画査定などを統括)。 昭18 3. 日本出版会設立(日本出版文化協会の発展的移行。国家総動員体制に対応。昭20・9解散)。 |
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3. 戦後の復興期
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戦後の刊行第1号は、堀英四郎著『正しい英語会話』(昭和12(1937)年初版、21(1946)年復刊)である。続いて、『スタンダード英和』『和英』の両辞書を復刊した。これらは、終戦直後の需要の波に乗り、事業は急速に復興へと向かった。 そして、教科書制度が国定から検定制に移った機会をとらえ、小社はいち早く教科書の発行にとりかかった。国語教科書(能勢朝次編『中学国語』昭和25(1950)年刊)をはじめとして、漢文・保健・体育などの教科にも手をひろげ、教科書発行が事業の主体となった。昭和28(1953)年9月、千代田区神田錦町3丁目24番地に鉄筋3階建の新社屋を建設した。月刊雑誌『体育科教育』もこの年創刊した。しかし、一挙に編集計画を進めた6種20冊の新教科書(中学校社会、高等学校日本史・生物など)が不成績に終り、それが新社屋建設による運転資金固定化とからみ合い、事業運営に厳しさを加えた。 |
昭20 10. 社団法人日本出版協会創立。 昭21 4. 全日本印刷出版労働組合結成。 11. 日本国憲法公布。 11. 当用漢字表告示。 昭22 8. 出版健康保険組合創立。 昭24 4. 検定教科書使用開始。 9. 日販・東販・日教販他創業。 |
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4. 『大漢和辞典』の刊行と出版活動の拡充
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『大漢和辞典』は、著者の手によって戦火をまぬがれた校正刷りを唯一の原稿として、4名の協力者と共に編纂作業が進められていた。 小社においても『大漢和辞典』の刊行の再挙について、いろいろ方策の検討を重ねていたところ、昭和27(1952)年、写真植字の石井茂吉氏との間に原字製作の交渉が整い、再挙の見通しがつきはじめた。こうして、戦災の痛手をはじめとする、幾多の難関を切り抜けながら、ついにその巻一を刊行したのは昭和30(1955)年11月3日、文化の日であった。以降も、さまざまな難関は絶えなかったが、公表通りの刊行を守り、昭和35(1960)年5月25日、最終巻の総索引を発行、ここに『大漢和辞典』全13巻の発行を完了した。実に編纂開始以来35年の歳月と、延べ26万人の労力、時価約10億円に達する巨額の資金を要した。 なお、著者諸橋博士は、『大漢和辞典』編纂の功により、昭和19(1944)年朝日文化賞、昭和39(1964)年には紫綬褒章、昭和40(1965)年には文化勲章を受章した。また、発行者鈴木一平は、『大漢和辞典』発行の努力により、昭和32(1957)年菊池寛賞、昭和41年勲四等瑞宝章を受章した。 その間、昭和32年には『スタンダード佛和辞典』を発行、続いて『スタンダード佛和小辞典』『新スタンダード英和辞典』を発行して辞書部門の充実を図り、教科書部門では、国語漢文教科書に加えて、昭和32年『高等保健体育』を発行した。この年、飯塚浩二著『世界と日本』が毎日出版文化賞を受賞した。 また、昭和30年から月刊雑誌『英語教育』の発行を引き受け、これに関連して「英語教育シリーズ」全29巻、「クエスチョンボックスシリーズ」全15巻を発行するなど、事業面の拡充を企図した。これにつれて増資も行ない、従業員も109名にふくれあがった。 しかし反面、事業運営資金の増加に対して、内容がこれに追いつかないなどの事情もからんで、経営は次第に苦難を伴うようになった。 |
昭28 2. 教科書協会設立。 2. NHKテレビ本放送開始。 4. 出版労組懇談会(出版労懇)結成。 昭32 2. 再販売価格維持契約、北海道を除き実施。 3. 日本書籍出版協会(書協)創立。 昭33 3. 日本出版労働組合協議会(出版労協)結成。 |
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5. 経営の苦難期
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事業の拡張に伴って打ち出した新企画の中に、採算割れのものが多かった上に、昭和36、37年の両年にわたり発行した中・高校の教科書10種19点が不成績に終り、経営は極度に苦しくなった。また、昭和35年には社内に労働組合が結成され(9月12日)、その厳しい攻勢にあうなど、各種の要素がからみ合って、会社は遂に危急存亡の状態に追い込まれた。 この危機を乗り切るためにあらゆる措置をとった。すなわち、中学校教科書の発行中止、漢文・保健体育を除いた他の高校教科書の編集打ち切り、及び基準以下の新企画の進行中止などを強行したが、しかし、これらの施策にも自ずから限度があったため、社屋など不動産の一部売却を行なった。 一方、編集部の編成替えを行なって企画の精選をはかり、余力を計画進行中の辞書編集の促進に振り向けた。その結果、昭和38(1963)年には『新漢和辞典』『新国語辞典』、翌39年には『新スタンダード和英辞典』を発行し、また「スポーツ科学講座」全10巻、「写真と図解によるスポーツ技術シリーズ」等の企画をまとめて新分野開拓の基礎を作った。 以上の措置により、販売促進活動も、教科書では漢文・保体の二教科に集中することができ、さらにそれに関連した教材類および辞書類を新たに加えて次第に充実していった。 |
昭35 6. 日米新安保条約発勃。 昭39 10. 東海道新幹線開通。 10. 東京オリンピック開催。 |
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6. 経営の刷新と出版活動の充実
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事業健全化のために、新企画の精選、不採算出版物の切り捨て、不動産処分等の非常手段を講じたが、なお多数の従業員を擁して、年々高まる経費を生産性の向上によって賄うことは容易の業ではなく、さらに積極的手段をとった。 すなわち、昭和40年に行なった整版・写植部門の閉鎖である。辞書の発行のために、昭和23(1948)年に整版部門を、さらに同28年に写植部門を設置したのであったが、『大漢和辞典』の刊行(昭和35年)の後、受注産業部門としての業績がはかばかしくなく、経営を圧迫していたものである。 この措置は、小社事業の健全化に大きな役割を果たした。これと前後して経営陣の刷新も兼ねて機構その他に一部変更を加えた。 昭和41(1966)年に『基本古語辞典』『大漢和辞典 縮写版』を発行して、辞書部門の充実をはかった。特に『大漢和辞典 縮写版』は月賦販売ルートの使用によって新しい読者層を広げ、まずまずの成績をおさめ、旧債も減少し会社の内容もようやく健全となった。 昭和43(1968)年、創業50周年を迎え、その記念出版として、「中国文化叢書」全10巻、「現代スポーツトレーニング」全3巻、『英語科視聴覚教育ハンドブック』、さらに『大漢和辞典 縮写版』全13巻のセット販売を行ない、出版活動の一層の充実を図った。この年、刊行を開始した「現代保健体育学大系」全20巻も、出版活動の充実に拍車をかけた。 なお、事業の成長に伴って社屋が手狭になったので、同年12月、神田錦町3丁目24番地に6階建の新社屋(現社屋)を建設した。 |
昭40 4. 中学卒の高校進学率、全国平均70%をこえる。 昭41 2. 全日空機墜落、133名死亡(出版関係者24名)。この年国内で計4回の墜落事故。 昭42 明治100年(昭43)ものの出版物が続出。 昭43 10. 書協『日本出版百年史年表』刊行。 11. 書協、日本書籍コードの実施を決定。 |
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7. 経営基盤の確立と出版分野の拡大
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昭和43年12月15日、新社屋落成と創業50周年を祝賀する会が、落成したばかりの新社屋で開催された。創業者鈴木一平は、その席上、80歳を迎えて引退を決意したと挨拶し、出席した社員・家族を驚かせた。会社は、後任の井上堅社長を中心に経営の基盤が固まって来ていた。鈴木一平はその後神奈川県葉山町の自宅で悠々自適の日々を送ったが、昭和46(1971)年8月29日83年の生涯を閉じた。 創業50周年を契機に小社の出版分野は急速に拡大していった。昭和44(1969)年には研究開発部が新設され、視聴覚部門や大型商品『国宝 地獄草子』(昭和48~49年刊)『覆刻 日本の山岳名著』(昭和50~51年刊)『日本辞書言海』(昭和54年刊)などの企画開発につとめた。従来は漢文中心であった編集部国漢部門でも、月刊『中国語』の発行を引き継ぎ、「講座現代中国」全3巻や『新中国年鑑』(昭和45年~平成4年)を刊行するなど、新しい路線を積極的に推し進めた。また昭和45(1970)年には『スタンダード和佛辞典』を発行し、翌46年毎日出版文化賞を受賞した。 このような出版事業の拡大と並行して、セールスの拠点となる大阪、名古屋、福岡の各営業所を整備し、草加市に確保してあった土地に「栄新倉庫」を新築するなど、販売流通面でも着々と成果を上げていった。 一方、事務処理に関しては、昭和48(1973)年にいちはやくオフィスコンピュータを導入、経理計算部門の合理化に着手した。ともすればカンに頼りがちな出版企業に近代経営の方法をとりいれた井上堅は、昭和49(1974)年、社長を鈴木敏夫にゆずって会長となり、翌50(1975)年には勲五等瑞宝章を受章した。しかし、ほどなく病を得て昭和51(1976)年4月6日他界した。70歳だった。 |
昭47 5. 沖縄の施政権返還。沖縄県発足。 昭48 2. 円が変動相場制へ。1ドル=264円。 |
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8. 学問の成果を生かした専門書出版
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戦後、研究が発展してきたさまざまな学問分野のなかでも、昭和40年代に至って飛躍的に研究が進んだものの一つに言語学がある。海外ですぐれた論文が相次いで発表された。小社は、これら基本図書の紹介に精力的に取り組み、昭和47(1972)年には、専門誌『月刊言語』を創刊、第一線の学者に研究発表と啓蒙の場を提供した。この流れの中から『日本人の脳』(角田忠信著・昭和53(1978)年)が誕生した。この本で、日本人と西欧人の感性の相違は、左右の脳のメカニズムの違いに基づくという理論が展開され、海外でも大きな反響を呼んだ。 小社の柱の一つである語学・文学の分野では講座・叢書の刊行が目立った。すなわち、昭和46年「講座国語史」全6巻、「英語学体系」全15巻、「講座英米文学史」全13巻(未完)、「スタンダードフランス語講座」全8巻、50年「諸橋轍次著作集」全10巻、51年には「日本語講座」全6巻、「フランス文学講座」全6巻がそれぞれ配本を開始した。 さらに新たな出版の分野として、昭和49年「永平正法眼蔵蒐書大成」全25巻別巻2、50年「ウィトゲンシュタイン全集」全10巻補巻2といった宗教・哲学の専門書も登場した。 また、もう一つの柱である保健体育・スポーツ書の出版では、高校の検定教科書を軸に、副教材や、分りやすい実技解説の「スポーツVコースシリーズ」が企画され、昭和45年には日本体育協会監修の『現代スポーツ百科事典』全1巻の大著が発行された。ここに至って小社の出版方針に確固たる方向づけがなされて、専門書出版社としての評価もようやく固まってきた。 なお、これら生産性の高まりもあって、昭和49年10月から完全週休2日制の実施に踏み切った。 |
昭50 7. 出版労協、日本出版労働組合連合会(出版労連)としてスタート。
昭51 5.近刊情報『これから出る本』創刊。 昭52 10.『日本書籍総目録』刊行。 |
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9. 諸橋轍次博士と『広漢和辞典』
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昭和53(1978)年9月、小社は創業60周年を迎えた。その記念出版として『禅学大辞典』全3巻、『中国学芸大辞典』、「日本の言語学」全8巻、「資料英学史」全3巻、「講座現代のスポーツ科学」全8巻等を世に問うた。 またこの年は、本社社屋の増築、錦文ビル新築、名古屋営業所の改築等、不動産部門の拡充をはかって経営面が一段と安定した年でもあった。さらに、仙台営業所を新設し、翌54(1979)年には新たに札幌と広島を営業の拠点に加え、これにより全国の主要都市をむすぶ販売網が確立された。 『大漢和辞典』の著者諸橋轍次博士は、昭和56(1981)年、数え年99歳の白寿を迎えた。さらにこの年の11月には『大漢和辞典』のファミリー版とも言える待望の『広漢和辞典』上巻が刊行された。博士は、それから1年後の昭和57(1982)年12月8日、『広漢和辞典』全4巻の完結を見とどけて間もなく、満99歳の、1世紀に及ぶ長い生涯を終えられた。 なお、『広漢和辞典』は、昭和58(1983)年秋、東独ライプチヒで開催された「世界で最も美しい本」展に出品され、みごと金賞を受賞するという快挙をなしとげた。 一方、昭和53年8月、文部省指導要領の大改訂が告示され、57(1982)年新学期から使用される高校教科書が一新されることになった。小社は、従来の漢文、保健体育に加えて国語の教科書をも発行すべく、直ちに編纂作業に着手した。新教科書は、昭和57年度『国語Ⅰ』『高等保健体育』、58年度『国語Ⅱ』『国語表現』『現代文』『古文』『漢文』、59年度『漢文選』と順次発行され、いずれも現場の先生方に広く受け入れられた。 昭和53年「小島烏水全集」全14巻別巻1、54年「講座言語」全6巻、55(1980)年「日英語比較講座」全5巻、「原色浮世絵百科大事典」全11巻、58年「スタンダード英語講座」全12巻、「健康科学ライブラリー」全12巻別巻3、等の全集・叢書の刊行が始まった。 |
昭53 9. 八重洲ブックセンター開店。 昭54 国公立大学共通一次試験実施。 昭56 1. 日本図書コード=ISBNの表示開始。 10. 常用漢字表告示。 |
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10. 事業のさらなる活性化
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昭和58年10月、神田三省堂書店本店で「大修館書店創業65周年記念ブックフェア・諸橋轍次博士遺墨遺品展」を開催し、博士の遺墨・遺品を展示すると共に、小社の全出版物の展示即売を行い、連日にぎわった。翌59(1984)年4月、博士の2人の高弟、鎌田正・米山寅太郎両先生を中心に進められて来た『大漢和辞典 修訂版』第1巻が発行され、長年改訂の意志をもちつづけた博士の念願の一端が叶えられることになった。このあと、小社の辞典部門はさらに充実の度を加えていった――昭和61(1986)年『中日大辞典』『漢語林』、62年『新スタンダード仏和辞典』、63年『ジーニアス英和辞典』。 教科書の部門では、昭和60年度から順次改訂版が発行され、関連する資料や副教材も豊富になっていった。加えて63年度からは、国語と保健体育の2教科において、新しい教科書『新国語Ⅰ』『現代高等保健体育』を発行し、それぞれ複数の教科書から選んで採択してもらうことになった。これは、教科内容の多様化に対処したもので、現場からも強い要望がなされていたためである。 単行本・事典部門は、『イメージ・シンボル事典』『世界なぞなぞ大事典』『最新スポーツ大事典』など大型事典を相次いで刊行し、いずれも好評を得て、ロングセラーとなっている。『日本語教育事典』をはじめ、海外での日本語教育熱や外国人日本語能力試験の実施ともあいまって日本語教育のテキストや教師向けの書籍を企画刊行した。また、スポーツの大衆化と高度化を背景に「スポーツQ&A」「基本レッスン」「指導者養成教本」等の読者対象別シリーズを企画し、発行点数を増やした。昭和56年発行の『ストレッチ体操』翌年の『デイリーストレッチ体操』は準備運動としてスポーツ界に大きな影響を与え、ベストセラーとなった。この時はじめて、電車の中吊り広告を展開し、TV、ラジオ、雑誌等のパブリシティ広告も積極的に行なった。 また、新たに編集開発部を発足させ、コンピュータ分析によって生徒個々に指導助言できる「体力テスト」の分析処理プログラムを開発した。この分析処理は、昭和61年から受託を開始し、全国の中・高校から毎年依頼を受けて現在もなお実施している。 一方、昭和59年、中華人民共和国大使館ほかの後援を得て、「漢字とくらし」論文募集を行って以来、小社は文化事業としてイベントにも取り組み始めた。61年には、中国・韓国・ベトナムから講師を招き、日本の学界の方々との2日間にわたる公開シンポジウム「漢字文化の歴史と将来」を開催した。62年には『最新スポーツ大事典』の刊行に合わせ、公開シンポジウム「スポーツフォーラム´87――これからのスポーツと教育」を開催。平成元(1989)年2月には、創業70周年の記念事業の一環として、中国から提供された文物を中心に「漢字の歴史展」を、新設まもない有楽町マリオンで開催した。 こうした出版活動・文化事業活動の活性化のさなか、昭和61年11月に社長を鈴木荘夫にゆずって会長となった鈴木敏夫が病に倒れ、62年4月17日61歳でこの世を去った。創業70周年(63年9月10日)を目前にしての他界であった。鈴木敏夫は、先代の遺訓「出版は天下の公器である」「後世に残る良書の出版」を守り、戦後40年間激動する出版界にあって自己の理念を求め続け、出版業界・教科書業界の諸活動にも誠実に奉仕した。没後、その功績により勲四等瑞宝章を授与された。 |
昭59 5.第1回「日本の本展」池袋サンシャインシティ文化会館で開催。
昭60 4. 放送大学開講。 昭61 4.男女雇用機会均等法施行。 10. 出版厚生年金基金設立。680社、2万3709人参加。 平1 1. 昭和天皇歿。 4. 消費税実施。 |
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11. 英和辞典界に新風をおこす
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昭和63年に刊行した『ジーニアス英和辞典』は発信型の英和辞典を標榜し、日本人の陥りやすい誤りを丁寧に説明するなど、創意・工夫に満ちた内容が高校生以上の学生・生徒に好評をもって迎えられた。姉妹編として『フレッシュジーニアス英和辞典』(平成元年)『ヤングジーニアス英和辞典』(平成4年)を刊行した。さらに『電子ブック版ジーニアス英和辞典』(平成7年)も出し、競合商品の多い学習英和辞典の市場にあって、その位置を不動のものにした。待望久しかった『ジーニアス和英辞典』を平成9年(1997)に刊行した。日本語見出しに対応する英単語を示し、その下に英語の用法・用例を掲げるというハイブリッド方式を考案、『ジーニアス英和辞典』と対になるにふさわしい新型和英辞典として、好評のうちに迎えられた。 昭和61年に刊行した『漢語林』も高校生の漢和辞典として大好評を博した。時代の要請にこたえて、『ジーニアス英和辞典』とともに改訂版から2色刷に変わり、安定した売れ行きを示している。また平成8(1996)年に『大修館現代漢和辞典』が新しいタイプの漢和辞典として登場した。漢和辞典をより身近なものとするために、知りたい漢字がすぐ引ける工夫を凝らし、現代日本語の漢字・漢語の意味用法に重点をおいたものとした。熟語索引が採用され、国語辞典感覚で利用できることも、読者に好評をもって迎えられた理由であろう。 平成9年10月刊行の『古語林』は、学習古語辞典の分野に新しい風を吹き込んだものとして評価が高い。「親しみやすい、わかりやすい、楽しみ多い古語辞典」を編集の基本コンセプトに、企画段階からほぼ10年をかけ完成した。2冊の漢和辞典と揃い、高校市場の辞書分野で優位に立つことができた。 平成元年に告示された新学習指導要領のもと、教科用図書検定規則が改正され平成2年度から施行されることになった。新しい検定制度の元で、引き続き高等学校用国語、保健体育の2教科を発行し、新たに外国語科の英語を編集発行することとなった。定評のある保健体育、国語に加え、各社発行点数の多い英語も、新規参入に関わらず多くの高校に迎えられ、平成6(1994)年4月から供給された。以後順調に各種目を発行し、平成8年には新しく家庭科の『家庭一般』を検定申請し、平成10(1998)年4月から使用されている。 広く東アジア文化圏の古代から現代までを総合的にとらえる雑誌として、『しにか』を平成2(1990)年4月に創刊した。単行本では現代の子どもたちの思考力に警鐘を鳴らす『滅びゆく思考力』や、スポーツ界のメンタルトレーニングブームの火付け役となった感のある『ゴルフのメンタルトレーニング』をはじめとする一連のシリーズ、『ブルーワー英語故事成語大辞典』『世界ことわざ大事典』等多くの良書を読者に届けることができた。 さて、戦後の混乱期以来社とともにあった元副社長川上市郎が平成5(1993)年6月に、また創業者故鈴木一平を支えてきた夫人のときが平成6年1月に死去した。ここに一つの時代が区切られ、平成に入ってからは、昭和20年代30年代入社の社員が、毎年のように定年退職を迎えるようにもなった。 |
平2 6.文化庁、著作権審議会第8小委員会(出版者の保護関係)報告書を公表。 12.「出版者著作権協議会」発足。複写の権利委託を開始。 平3 11.第1回神保町ブックフェスティバル開催。 平6 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞。 平7 1.17 阪神・淡路大震災発生。 平9 4.消費税率5%に引き上げ。/定価表示形式変更。 |
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12. 新しい時代へ
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平成10年9月10日、創業80周年を迎えた。この年の1月から社内ニューズレター『これからの大修館書店』が、総務部によって隔週に発行されるようになった。社全体への各種情報の伝達、発信機能を果たしている。またIT化の一環として、4月1日に読者が直接注文のできるホームページを開設した。書籍検索と受注システムの充実したコンテンツをもっている。 また、東京国際ブックフェアへの出展はもとより、文化的なイベントにも力を入れている。日本縦断講演会や記念イベントも節目節目に行っており、11月1日には創業80周年イベントとして、有楽町マリオンにて古代史・考古学・国語・国文学シンポジウム「古代日本の文字世界」、スポーツ講演会「スランプからの脱出法―スポーツ選手のための心身調整プログラム」、全出版物の展示即売会が行われた。入場者数約1,600人、売り上げ1,300万円を記録した。対外的には、本社のある錦町に近接する神保町商店街に協力し、毎秋行われる「神保町ブックフェスティバル」に出店している。また、〔言語学出版社フォーラム〕の設立に加わり、設立7社中の1社としてその後も積極的に運営に携わっている。 一方、社内的整備に関しては、昭和59年に導入されたデスクトップ型のワードプロセッサを皮きりに社内のIT化が徐々に進められてきた。平成3年に導入された新ホストコンピュータのもとで、社内の書籍情報等がより身近なものとなり、各階に設置されたワークステーションによって刊行物の売れ行き、進行状況等の問い合せが容易になった。平成11年(1999)年には、全社員にノート型パーソナルコンピュータが支給され、各種業務の処理、進行が効率化された。社員個人および雑誌編集部等各部門にEメールアドレスが割り当てられ、社内外の連絡、業務等に活用されている。 職場環境という点でも、平成7(1995)年7月から11月にかけて本社ビルの全体的な改修が行なわれ、各階湯沸かし室、トイレの拡充、2階会議室の増設等がはかられた。また、社内分煙が求められるようになり、空気清浄機も設置され、就業時間中の喫煙はロビースペースでなされている。 さて、21世紀を迎え、新しい大型英和辞典として、『ジーニアス英和大辞典』(平成13年)が刊行された。ジーニアスファミリーを構成する『フレッシュ』『ヤング』の後継辞典として、『アクティブジーニアス英和辞典』(平成12年)『ベーシックジーニアス英和辞典』(平成14年)も刊行され、各段階の学習者に好評をもって迎えられている。『英和大辞典』は読者の要望にこたえ、『CD-ROM版 ジーニアス英和<第3版>・和英辞典』『CD-ROM版 実用英語ハンドブック』等と同様、CD-ROM化された。また、これら辞典類は、シャープ、カシオ、キャノン、ソニー等のパソコンや電子辞書にコンテンツの提供を行っている。特筆すべきは、久しく望まれていた『明鏡 国語辞典』(北原保雄編、平成14年)が刊行されたことであろう。従来の国語辞典では説明しきれなかった日本語の微妙なニュアンスに踏み込み、意味の分類と解説を行なった画期的な辞典として、各界に迎えられた。 平成11年告示の新学習指導要領に基づく高等学校検定教科書は、少子化の状況にもかかわらず、保健体育を中心に国語、英語、家庭の4教科とも着実に定着し、平成15(2003)年から供給されている。当社の主要な出版分野として、その重要性は高まるばかりである。 |
平10 2. 長野冬季オリンピック開催。 平11 情報公開法、日の丸・君が代を国旗・国歌とする法律成立。 平14 6. 日韓共催サッカーW杯開催。 11. ノーベル賞初のダブル受賞。 |
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13.創業90周年を迎える
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平成12年11月、代表取締役社長に鈴木一行が就任、前社長鈴木荘夫は代表取締役会長となった。鈴木会長は平成15年11月3日、長年の出版・教科書業界で果たした功績により、旭日小綬章を授与された。 さて、時代の要請とも相まって、新社長のもとIT化が進展し、事業としても辞典類の電子化や、他社へのコンテンツ提供が盛んに行われるようになった。これを受けて、平成15年5月、電子的なメディアとの連携を円滑にするため、全社横断的な部署として電子出版開発室が新設された。それ以前、平成13年に出版契約および著作権全般についての業務を行ってきた編集調査室を総務部に統合し、平成17年に家庭科教科書に関する企画編集製作業務を編集第三部から分離し、編集第四部を新設した。これら機構改変によって、7部2室となった。 一方、関連会社に関しては、平成16年11月に文京区小石川を所在地としていた株式会社錦栄書房が本社裏手の錦文ビル3階に移転、大修館出版販売株式会社も、平成17年1月に練馬区から板橋区西台へと本社を移転した。 とりわけ錦栄書房は、教科書ガイドの発行や、大修館書店の発行物の編集サポートを主たる業務としているため、本社間近への移転は、より緊密な連携関係をとれるようになるというメリットをもたらした。そして平成19年4月からはじまった「継続雇用嘱託社員制度」のもとで、編集関係業務の嘱託社員を受け入れている。なお、本社では総務部、刊行部で再雇用の社員が継続的な戦力として活躍している。 平成15年に発行した『日本語大シソーラス』(山口翼編著)は、19世紀半ばの英語の類語検索辞典、ロジェのシソーラスにならい、二十数年の歳月をかけて編纂されたものである。大部な事典であるにもかかわらず、各界から絶賛をもって迎えられた。 『明鏡国語辞典』の編者である北原保雄博士を中心に、同辞典の編者が執筆した『問題な日本語』は、「へんな日本語にも理由がある」をコンセプトに「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」「全然いい」などの「問題な」日本語を取りあげ、それがどのような理由で生まれてきたか、どのように使えばよいかをわかりやすく解説した。本書により、日本語ブームに一気に火がつき、同系統の書籍が各社から発行されたばかりでなく、テレビの日本語特集や多くのクイズ番組が制作された。本書の続編や関連書も次々と企画発行され、小社としては画期的な売り上げを記録した。本書の一連の広告宣伝活動も、おおいに成果を上げた。電車内の吊り広告、扉のステッカー広告をはじめ、新聞広告に注目が集まった。中でも、企画制作からモデルまで社員であたった平成18年11月の読売新聞掲載の「日本語が、大問題。」と題された全面広告は、高く評価され、読売出版広告大賞が与えられた。 『ジーニアス英和辞典』は、屋台骨であった小西友七編集主幹が平成17年9月10日、奇しくも小社創業記念日に亡くなられた後も、南出康世編集主幹を中心に粛々と改訂が進められ、『ジーニアス英和辞典第4版』として平成19年4月刊行された。見出し語・語義区分・用例・発音を最新の使用実態に即して大幅に見直し、これまでで最大の改訂を行い、コラムや図表をふんだんに盛りこんで見やすさ、引きやすさが格段に向上した。これにより、電子辞書をはじめとする電子的メディアへのコンテンツ提供の要望もますます強くなっている。 電子出版開発室では、先にあげた『ジーニアス英和辞典』のみならず、『明鏡国語辞典』、『漢語林』、『日本語大シソーラス』、『中国語新語ビジネス語辞典』などの辞典類、英語リスニング系や、語学のドリルやクイズ系など、多くのコンテンツを提供するようになっている。出版によって培われた優良なコンテンツを持つ小社としては、電子出版やコンテンツの開発・提供も主要な出版活動のひとつと位置づけている。 諸橋博士の『大漢和辞典』の編纂を助け、修訂版を編集した、米山寅太郎静嘉堂文庫長が平成19年4月19日に、鎌田正博士が平成20年6月13日に亡くなられた。『大漢和辞典』とともにあったお二方が亡くなられたことは、小社にとっても大きな痛手であるが、今後も漢字文化の発展に寄与してゆきたい。 法定再販制度の見直しや、消費税率のアップ、著作権の保護期間の延長などが取りざたされ、経済状況の変化も含め出版界を取り巻く状況は楽観を許さない。しかし、90年の伝統を踏まえて積極的な変革をめざし、創業者鈴木一平の「出版は天下の公器である」という理念を社員一同のものとして、さらに100年、さらにその先へ向かって良書の出版活動を発展、継続させてゆきたい。 |
平17 10. 図書券が図書カードに一本化。 平19 1. ISBN13桁化実施。 〈注〉 本稿は『大修館書店90年』(平成20<2008>年9月10日刊)所収の「大修館書店90年のあゆみ」から転載・加筆したものである。 |
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